宣教
10月15日「幸せはここにある」
Iヨハネ4:9~12
キリストによって、私たちが「生きるように」なるため、主は御子イエスをお送りくださったのだ、と聖書は語ります。心臓が動く、血が流れる、といった生物学的な生きる、ではないことが語られていることは、すでに生きている人たちに語られていることからも明らかです。
罪の与える報酬は死だと聖書にあるように、生物として生きていることと、キリストにあって生きていることとはまったく別のことなのです。そして、罪は、私たち人間を霊的に死んでいる状態に陥れるために、自分が危機的な状態であり、死んだも同然であるとさえ気づかせないのです。
死は死を呼ぶため、朽ちていく物質的なものや、いずれ草のように枯れていくものに救いがあると、人は救いを死に求め続けているのです。困窮した方が、死んで楽になりたいと思ってしまうのはこのためなのかもしれません。
しかし、救いは物質的なものや朽ちていくものにあるのではなく、「ここ」にあるのだと聖書は宣言します。そして、「ここ」とは、まさしく主のもとです。
救いや助けを他に求めていませんか。あなたに本当に必要なのは、永遠に変わらない方、ただお一人です。