宣教

12月17日「それぞれのクリスマス」

マタイ2:1~12
 聖書は主イエスの生誕を様々な角度、そして人々の視点から語ります。三博士、地上の王、権力者たち。それぞれのクリスマスがあるのです。
 聖書を読むときに大切なのは、悪役になってみるということです。どうしても主の側に立って読んでしまいがちですが、そうすると、聖書が伝えたい罪の深さを排除することになってしまいます。
 地上の王ヘロデは、人々が待ち望む預言の救い主が来て、王となることに恐れを抱いていました。これが彼のクリスマスです。そこに希望はなく、王座から引きずり降ろされる不安しかありません。彼は預言の主ではなく、自らの恐れに身を委ねました。それが行動となって出たのが子どもたちの虐殺でした。
 主を自分の王として、神として受け入れるのは容易ではありません。そこには罪に根ざした霊的な戦いがあるからです。ヘロデはその戦いに虐殺というアクションで応答しました。彼はユダヤ人であり、聖書の神について知識があったにも関わらず、です。しかし、三博士は違いました。
 彼らは異邦人であり、神を知らない人たちでした。しかし、神にしかできない御業を素直に受け入れて、その光栄と祝福にあずかっていったのです。