宣教
1月28日「絶えず求めるもの」
ルカ18:1~8
絶えず祈りなさい、これこそ神がキリストにおいて私たちに望んでおられることです。しかし、絶えず祈っている方が、どれほどいることでしょうか。
この聖書箇所に出てくる裁判官は、神をも畏れず、人を人とも思わないひどい人物です。彼は貧しい身分の女性が来た時、自分に利がないためになかなか動こうとしませんでした。
求める祈りが聞かれない時、私たちは神ご自身を、この裁判官のように思ってはいないでしょうか。祝福を出し渋り、絶えず求め続けていると、重い腰を上げる。それが神の姿なんでしょうか。いえ、まったくそうではありません。
主イエスは、天の父の姿をこのひどい裁判官の姿と対比して、神の迅速な対応と、誠実さに触れているのです。しかし、なかなか求めることが与えられない場合があるのも事実です。これはどういうことでしょうか。
主は神が私たちの必要なものをすべて、すでに理解している、与えてくれると告げた後、まして天の父は聖霊をくださる、と最も求めるべき事柄の存在を挙げています。
絶えず求めるもの。それは聖霊の満たしなのです。