宣教

8月11日「平和への一歩を」

 イザヤ2:3~5  マタイ5:9
 「8月や6日9日15日」(広島、長崎、敗戦記念日)と謳われる。この8月は、今一度、「平和への祈り」を、教会と、自らの祈りとして新たに生きることを求められています。「平和とは?」の問に、次の祈りがこたえてくれます。
 「主よ、わたしを、あなたの平和の道具としてお用い下さい。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信仰を、誤りには真理を、絶望に希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらす者としてください。慰められるより 慰めることを、理解されるより 理解することを、愛されるよりは 愛することを、求める者としてください。わたしたちは与えることによりより得、赦すから赦され、自分を捨てて死ぬからこそ 永遠の命をいただくのですから。」(アッシジのフランチェスコ)
 そうなのです。平和は「いただくもの」ではなく、イエス様が語られるごとく、わたしたちが主イエス様によって、「実現するもの」なのです。それが、教会であり、わたしたちが召されているということです。「主よ、わたしをを、あなたの平和の道具としてお用い下さい」と共に祈りましょう。