宣教

9月1日「人生の豊かさ ①」

マタイ5:13-16
 主イエスはある時、山の上から人々に語りかけられました。聞いていた人々は、弟子たちをはじめ、日々の生活に困窮している方々でした。そんな人々を前に、主は人生の豊かさについて教えてくださったのです。
 まず、私たちはどういう存在なのか。地の塩、世の光という表現をもって語られました。
 塩は欠かすことができない調味料であり、それが無ければ味がせず、なおかつ食品を腐敗から守る役割も担ってくれます。それが、私たちだとおっしゃるのです。あなたがいなければ、この世界は無味に等しい、と。あなたがいなければ、この世界は腐敗していく、と。そうおっしゃるのです。あなたはそんな自分の価値を知っていますか?
 また、世の光だともおっしゃいました。その光は隠そうとしても隠せないほど強く輝くもの、隠そうとすること自体が無意味で、その輝きは人々の前で輝かせるために、主自らがデザインしたものだと教えられたのです。
 また、世の価値観でいえば、決して立派ではない人々を前にして、あなたがたの立派な行い、とおっしゃるのです。私たちが考える立派な行い、というのは慈善事業でしょうか。律法を守ることでしょうか。あなたは何だと思いますか?
 主がおっしゃっているのは、塩と光です。塩は塩らしく、光は光らしく、主が創造された役割を果たしていること。それこそ、立派な行いにつながるものだからです。