宣教

9月8日「知恵のはじめと終わり」

箴言1:7  ヨハネ17:3
 「世」には、知という知が溢れています。しかし、これらの知の何という頼りなさでしょう。ITの技術も私にとっては、あまりに高い山に思えます。しかしこの知識も、かってなかったほどの犯罪や不正の温床になっていることは悲しむべきものがあります。便利という知が犯罪の温床になります。
 「知」とは何なのでしょう?もろもろの「知」を集めても、人は幸せになることは出来ません。知識の実を食べたアダムとエバを見るとよくわかります。そして人間の『知』は滅亡へと雪崩落ちる危険性をはらみます。このことは、創世以来変わることなく続いています。人間の「知」は、「知」のみにおいて幸せをもたらすものとはなりません。聖書は、わたしたちに、「主を畏れることは知恵の初め」と宣言し、「真の知」へと招きます。
 友よ、科学の進歩は、一方では、限りなく、自然と人間の壊滅へと向かって舵を切ります。聖書はわたしたちを、イエス・キリストによって、「神への平和」へと招き続けています。インマヌエルの神は、神を畏れ敬うことにこそが「知」の初めであり、キリストの出来事-愛―こそ、神の救いの出来事、真の「知」なのだと断言します。神の御子の遜(へりくだり)りこそ、神の真の知恵なのです。