156センチの視線
10月13日「祝福する人から」
創世記12章1節に、「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしの示す地に行きなさい。』」(創12・1)は、マタイ5:3~の、「山上の説教」と同じように、原文では「幸いである~」のように、「離れよ~」が冒頭に来ています。『離れよ!出でよ!』と神様が言われるのは、人間はなかなか出たがらない存在だからなのでしょう。自分の今日までの歩みを想い起してみると、よくわかります。足が前に出ないのです。ことに、主の促しには!
主は何のためわたしたちを変革させようとするのでしょうか?それはわたしたちを通して、人々を祝福するためのように思われます。
「地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」と神様はアブラムに宣言されます。わたしたちも、神様からの祝福を委ねられているということを忘れてはいないでしょうか。
わたしたちが福音へと召されたのは、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝え」(マルコ16:15)るためです。
世界は「祈願」する人々で溢れています。しかし、新しい時は、祈願する人からではなく、「祝福」する者へと変えられる人により実現します。「主よ、祝福の器として用いてください!」と。 石川