宣教
11月3日「理解を超えて」
使徒17:29~34
古代アテネは学問の街として栄えてきました。昼間から広場には学徒が集まり、様々な話題について議論を交わすような土地です。
使徒パウロが福音を携えてこの街を訪れたとき、人々は新しい思想や学問、話題が来たと大いに喜び、彼を歓迎したのです。
ところが、パウロが主イエスの歩みとその意味、そして、罪の赦しの十字架を語りだすと、人々の反応は薄れていきます。やがて、主が蘇られたことにまで話が及ぶと、人々は期待していたものとは違う福音の内容に、きびすをかえして去っていきました。
いわば、最高レベルの知識の集積所であるアテネの人々の問題点は、一体どこだったのでしょうか。彼らは何を欲しがっていたのでしょうか。そこに、人が求めるものと、神が与えたいと願うものの間にあるギャップが存在しています。
あなたが今、神に求めたいものとして真っ先に頭に思い浮かぶものは何でしょうか。そして、神があなたに与えたいものとは何でしょうか。聖書はそのことに注目させます。
神があなたに与えたいもの。それは永遠の命です。これは人間が努力しても、善行を積んでも、決して得ることができないものです。そのために、神は壮大なご計画を持って働かれた。それが聖書のストーリーです。