宣教
12月1日「神のライフプラン」
イザヤ55:8~11
キリストを救い主と信じる信仰の素晴らしさは、良いことが起こったらハッピーで、悪いことが起こったら無意味とは決してならないことにあるのではないでしょうか。
主は、私たちの思いをはるかに超えた計画を、一人ひとりの人生に現してくださいます。一見すると、目の前で繰り広げられる出来事は、悪い事のように映るときもあるかもしれません。主イエスもおっしゃいました。「この世にあっては苦難がある。」と。
何よりも、主ご自身が、苦難を嫌と言うほど味わわれたのです。そうする必要もない方でありながら、です。
イザヤの預言を知っていた者たちでさえ、誰も信じられませんでした。神でありながら、人となっておとめに宿り、世話が必要な赤子として過ごし、貧しい村の大工として働き、その人が律法を成就するために来たと宣言し、およそふさわしくは見えない人々を弟子として、数々の奇蹟を実行し、仲間に裏切られ、不当な裁判で屈辱的な十字架で死ぬも、三日目に復活する。これのどこを理性で理解できるでしょう。しかし、この方法でしか、人を救うことができなかった。あなたを変えることはできなかったのです。