156センチの視線

1月19日「罰ではなく」

 先日、刑務所で行われたコミュニケーションスキル研修では、私が講義をするものだと思っていましたが、行ってみると、教育専門官の職員の方が模擬授業のような形で、東北管区の更生保護に関わる公務員の幹部に公表するというものでした。彼は私の教誨クラスで傾聴やカウンセリング、コーチングの話を聞いて「これだ!」と思った方で、それから色々とお話をしていたところ、ご自身の授業を見て、意見をもらいたいと思っていたようです。
 今年の6月に法律が改正され、拘禁刑という新たな制度が始まります。そして、それぞれの被収容者に合ったプログラムを提供することで、再犯を防いだり、出所後の生活に資する技能を身に着けたりするように援助するそうです。しかも、それが法務省からのトップダウンではなく、各刑務所の独自の取り組みに委ねられているとのことでした。そこで、彼が気づいたのはコミュニケーションの重要性だったというのです。
 主イエスが人を育てるときに用いた質問力と、相手の必要を汲み取る力、そして励まし寄り添う心。日本の刑務所が罰を与える目的から、やり直しを支える目的へと変わろうとしています。
 ただ、SNSなどでは未だに犯罪を犯した人々への処罰感情は強く、罰を与えたいと願う声が絶えません。赦し、赦される社会への道は、なお険しいと言えるでしょう。