156センチの視線
2月26日「新たな土地での祝福」
先週の礼拝後、英さんが「来たばかりですぐに出ていってすみません。」と声をかけてくださいました。確かに期間は短いかもしれませんが、私たちは和香枝さんの洗礼式を見ることができました。和香枝さんが受洗をお考えになったのは、石川牧師から洗礼のことを話された時で、ちょうどその日がお父様の特別な日だったということでした。また、大輔さんも生きて働く神の導きを強く感じ、母の祈りを感じ、受洗を決意されました。
以前、金城学院大学の教授が言っていた言葉を思い出しました。「蒔かれた信仰の種が芽を出す瞬間に立ち会いたいと願いながら、福音を語り続けていますが、それがどこで目を出すかは、神様だけがご存じです。私たちが目にしている信仰の芽は、どこかで誰かが植えてくれた種なのかもしれませんね。」
私たちは、祈り続けられてきた方々の、神との新しい旅立ちを目にしてきました。これは大きな特権です。そして今、この方々は、福音を携えて、さらに新しい道へと進み出します。「あなたたちが足の裏で踏み込む所は、すべて、あなたたちのものとなる。」(申命記11:24)新たな土地でも、その働きと営みがすべて祝福されることを主は約束してくださる。何という幸い。何という恵みでしょうか。