156センチの視線

2022-05-22
5月22日「共に歩む喜び」

 先月、献堂式を終えられた平川めぐみ教会に立ち寄ってきました。ペニー宣教師と話していると、同じ同志社の卒業であることが分かりました。在学中、ペニー先生は社会学部に籍を置きつつ、神学部にも授業を聴講に来ていたというのです。しかも、同じ時期に学んでいたのです。
 話していると、続いて中村宣教師ご夫妻が部屋に入ってきました。中村先生はアメリカのアップル社で働いていたご経験もある方で、こちらも共通点がありました。もちろん、私が世界的一流企業で働いていたことではなく、アップルの製品が好きだった、という点だけですが。
 お二人に会堂を案内していただきました。以前の会堂を知っていたので、とてつもないアップグレードが主によって成されたことを見せていただき、聖霊の喜びに満たされました。
 歴史的にも、平川市には教会がありませんでしたが、ペニー先生をオーストラリアから遣わし、中村先生ファミリーをアメリカから遣わし、今、平川で誰も見たことのないことが進行中です。
 共に歩みながら、主のご臨在に触れる機会が増し加えられていく感動を味わいました。

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2022-05-15
5月15日「想像を超えて」

 先日、秋田コーチング・ネットワークが久しぶりにオフラインで行われました。秋田県はコロナに関して厳しい、という噂もチラホラ聞こえる中で、隣に付属の幼稚園がある脇本教会で行われたことに驚きを覚えました。
 私は講師として参加しましたが、青森からオンラインで皆さんと交わりました。ただ、向こうはオフラインで交わって楽しそうなのに、その中に入っていけないもどかしさを強く感じました。次回は絶対に行きたい、と思わされました。
 今回もたくさんの素晴らしい証を聞くことができましたが、ある女性の証がとても心に残りました。
 障害を持った娘さんが洗礼を受けることになり、その準備をするに当たり、「信じますか?」と牧師に聞かれたら「はい」と答えるように、娘さんに熱心に教えていたということでした。当日、牧師に「信じますか?」と聞かれた娘さんは「信じます!」と大きく答えたのです。それは、女性が熱心に教えた「はい」という言葉ではありませんでした。それは自らの意思で発せられた、まさに信仰告白でした。
 悔い改める女性の姿を見ながら、我が身を振り返り、同じようなことをしている自分に出会いました。神は素晴らしい方、想像を超えた方です!

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2022-05-08
5月8日「心の雑草」

 教会堂前の薔薇園と小さな畑が、本格的な春の訪れを告げてえいます。3メートル近い積雪による枝折れが心配された薔薇でした。雪が解けた後、見るも無残な姿を現しました。根のほうから見事に折れている木を見て、正直「もうダメかな⁉」と心が暗くなりました。折れた枝を切って積み上げたら、山が出来ました。枝を燃やすための焼却炉をネットで購入しました。
 日を重ねるうち福寿草、クリスマスローズが、沢山の水仙、チューリップ、ムスカリ、芝桜が咲き始め、ラムズイアーやギボウシガが芽を出し始めました。引っ越してまもなく隣の家の方に頂き育てた行者ニンニクも初めてお浸しとして食卓に上りました。ぶどうの蔓に芽が、プルーンの花も…。本当に春がやって来てハナミズキも咲いています。おまけに例年より早く、コゴミとワラビを収穫し、おいしくいただきました。山ウドも出てきました。
 そして妻が早朝と夕べに花壇の草取りをしています。その姿を見ながら、自分の心にいつの間にかはびこっている雑草を思い、御言葉と祈りの大切さを思い知らされています。完全装備をし、精を出す妻の姿に、「お前の心の雑草は?時に備え信仰の畑は整えられているか?」と。春です!最善を生きる今日です!

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2022-04-30
5月1日「神の家族」

 イースターの礼拝で素晴らしい歌声を主にささげてくださった海野紀美子先生からお便りが来ました。久しぶりに教会で賛美できた喜びが溢れておられる文面でしたが、中でも「神の家族」であることを強く感じられたとのことでした。
 2009年の夏、まだ神学校に通う学生だった私は初めて西教会を訪ねました。当日は祈祷会があり、席に着くと何人かの方々がおいでになりました。「さあ、ここでは何をするのかな」と期待していると、石川牧師が言いました。「じゃあ、よろしく。聖書の箇所は?」事前に何も聞いていなかったので、びっくりしました。もちろん、準備もしていませんから聖書を選ぶこともできません。仕方がないので、好きな聖書の箇所を開き、救われたこと、召命のことを証ししました。
 話し終わると、皆さんの真剣な眼差しから、うっすら涙が見えたのです。それは、石川牧師に無茶振りされた可愛そうな青年を憐れむ涙ではなく、一人の罪人が神に救われ、羽ばたこうとする姿への愛の涙だったのでは、と思います。
 夏季伝道実習が終わり、青森空港に行くと石川牧師夫妻が見送りに来てくれました。「神の家族」を意識できる教会。今、そこに自分が遣わされていることの不思議と導きにただ驚くばかりです。

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2022-04-24
4月24日「キリストの体」

 先週、ブラジルに住んでいた石川牧師の姉、道子おばさんが名古屋に住む娘さんと一緒に訪ねてきてくださいました。
 娘さんが「うちの教会に来たことがあったんですよね?」と仰ったので、一生懸命に頭を振り絞りましたが、記憶にありませんでした。そこで「どこの教会ですか?」と尋ねると「ゴンザレス先生のいる教会です。」と教えて下さいました。ゴンザレス先生とは津田キリスト教会でもたれたJCMNのサミットで初めてお会いしてから、オンラインのミーティングやセミナーで何度もお会いしていました。しかし、実際にお会いしたのは津田での一回きりでしたが、ゴンザレス先生は、教会に来たことがある、と覚えていてくださったのです。そんなに印象が強かったのでしょうか!
 その後、家で道子おばさんと娘さんと楽しい時を過ごしましたが、ブラジルの教会や名古屋中央教会での出会いや不思議な導きなどを伺うことができました。日本はクリスチャン人口が少ないので、友だちの友だちはだいたいつながっている場合が多いものです。もちろん、そのことはとても嬉しいものですが、やがて、「誰それ?」が増えるような福音の拡がりとリヴァイバルに期待します。

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2022-04-17
4月17日「蘇りの奇蹟」

 信徒の友4月号はイースター特集でした。そこに原稿を依頼され、掲載していただきました。
 死者の復活、それもよく耳にする仮死状態などからの生還ではありません。鞭で切り刻まれ、十字架に釘付けられ、槍で刺された人が蘇ったのです。ありえないことでした。
 聖書にはありえないことが山盛りです。大海が開き、一言で嵐を沈め、生まれつき耳や目の見えない人が癒やされ、精神的な弱さから解放され、食物が増加し、死者が蘇りました。神のなさることはいつだって度肝を抜きます。
 では、人間の科学や知識をフル回転させて、死後の天国を証明しようとしたら、何が必要でしょうか。やはり、誰かが蘇ってそのことを見せなくてはならないでしょう。もちろん、その誰かとは、天国から来た人をおいて他にありません。しかし、残念なことに天国に関する知識を持ち、そこから来た人間などどこにもいないのです。ですから、神は人には不可能なそのことを人に代わってなさったにすぎないのです。
 私たちにはいつでも、神が招いてくださるこの信じられないような領域に進むチャンスが与えられています。しかし、すべてのチャンスを棒に振っても大丈夫です。ただ一度、死というチャンスからは誰も逃れられないからです。

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2022-04-10
4月10日「卒業証書」

 先月の30日から2泊3日で、牛山一家と次女が浪岡を訪れました。その時、素敵なサプライズが!食事の時、孫のかえながわたしに「卒業証書」をくれたのです。
 「卒業証書 石川敞一殿 1945年9月6日生
 あなたは東奥義塾高等学校において永きに亘り、時が良くても悪くてもみことばを宣べ伝え、福音の種を蒔き続けました。そしてこのたび父なる神の恵みとお守りのうちに その働きを終えられましたことを感謝をもってここに証します。これからの新たな日々においても主がいつも共にいてくださいますように
 2022年3月31日
  あなたの友、イエス・キリスト
  あなたを愛する家族一同    
          印 JESUS CHRIST  」

 思いもかけなかった出来事に、今日までの守られてきた日々が、走馬灯のようによみがえりました。全ての時が「御手の中」であったことを噛みしめ、素敵な家族に感謝が溢れました。
 「あの事、このこと」全てを、導かれる主の愛と慈しみの中でした。与えられた働きに感謝出来た最高の時でした。主が共にいてくださいます。 

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2022-04-05
4月3日「Whyから始める」

 先進的な企業がブランディングやマーケティングに用いているゴールデン・サークル理論というものがあります。広告コンサルタントとして著名なサイモン・シネック氏が提唱し、信者とも呼ばれる熱狂的な顧客を獲得する企業の秘密を明らかにしたものです。
 一般的なプレゼンテーションでは、What「何を」(商品など)How「どうやって」(販売方法、広告など)という部分に終始しています。しかし、この理論ではWhy「なぜ」(根幹をなす柱)という部分からスタートし、どうやって→何を、という流れを重視します。
 人間の脳の中で最初に育つ大脳辺縁系は人の感情や感性を司る領域で、Why(なぜ)から伝えることで、人間の感性に訴え、行動を促すことにつながります。
 思い返してみると、自分はWhyからスタートしていない場合が多いと気付かされます。逆に、主はいつもWhyからスタートしているようです。救いをもたらし、世界に変革をもたらすため、というWhyから始まり、神でありながら人となって来られる、というHowを経由し、奇蹟的なみわざと十字架、復活においてWhatを成し遂げられました。
 コロナの影響で行動を見直す機会が与えられた今、Whyから始める新しい生き方を模索してみようと思います。

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2022-03-27
3月27日「賜物は祈りに支えられ」

 最近、娘が言います。「週報の裏に書いてあるやつ楽しいよね。早く次のが見たいな。」
 実は、この「自由帳」を書くことがとても大変です。一般的な教会には週報の他に月報などがあり、牧師はそこに巻頭言などを書いたりしています。私には、それが毎週やってくるわけです。メッセージは聖書という素晴らしい題材があり、神が共同体の方々へと伝えるテーマがあります。もちろん、メッセージを毎週考えることは難しいことですが、テーマもなく、題材もない「自由帳」の困難さに比べればマシな方です。
 さらに、牧師の主観が大いに入ることで、読む人によっては不快なものとなりうるものでしょう。それでも、娘ばかりでなく、教会の方々の中には「自由帳」をスクラップしている方もいらっしゃると伺いました。また、「自由帳」を話題にしてくれる方々もいるようです。
 この際、上手かどうかはさておいて、私は文章を書くことが苦手ではありません。苦手なのは続けることです。それでも、賜物を活かすために主はこのような機会を与えてくださり、人々を通して励ましを与え、継続することができています。
 いつもこの文章を読んでくださる主と、すべての方々に感謝します。

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2022-03-20
3月20日「賜物が生かされて」

 先週の木曜日、弘前シオン教会の高木先生とお話をする機会が与えられました。先生は来年度から東奥義塾の聖書科講師になられるため、事前の準備のために来られたのです。
 あらゆることに心を砕いておられる先生の真摯な姿勢を見ていると、私も最初の一年目はとても大変だったことを思い出しました。新しいことに挑戦することはとても勇気と力のいることです。しかし、主が先生のような情熱的な方を高校生たちのために選んでくださったことを心から感謝しました。
 先生はおっしゃいました。「私はイエス様のことをどうしてもお伝えしたいんです。しかし、どのように伝えるべきか、他教派の私が言って良いことと言わないほうが良いことの線引きが今ひとつ分からなくて不安です。」とおっしゃいました。以前、先生が東奥義塾でメッセージをしたときのことを「配慮しすぎて当たり障りのないことしか言えなかった」と悔やんでおられました。その誠実さに心打たれました。
 「先生が主に選ばれたということは、先生らしさ全開で良いと思いますよ。」まるで自分に言い聞かせるように、そうお伝えし、祈りを合わせました。
 主に期待して新年度を迎えることができそうです。

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2022-03-14
2022年3月13日「父なる神の愛」

 家族がコロナの陽性と判明してから、2チームに別れた生活を送りました。階上には妻と息子、階下には娘と私です。食事は私が作り、上に運ぶのは娘です。やがて、多くの方々から差し入れが届くようになり、とても助かりました。
 数日後、家族でPCR検査を受けましたが、全員が陰性でした。何よりも、コロナにかかった息子がすぐに元気を取り戻したのが一番でした。これには、背後にある力強い祈りの輪を感じざるを得ませんでした。
 1878年、イングランドの王女アリスの息子がジフテリアにかかりました。ある時、隔離された息子の病室の前を通りかかったアリス王女は、「なんでお母様はキスしてくれなくなったの」と看護師に話す息子の声を聞きました。いたたまれなくなった王女は病室に入り、息子に何度も何度もキスをしました。数日後、感染した王女は息を引き取ったのです。
 今回、息子がコロナにかかり、思い出した話です。死んでもいい、と思えるほどに愛する。それはまさに親の愛であり、父なる神の愛と重なります。毎日抱っこし、キスしていた息子に近づくことも、触れることもできない数日間は、まさに地獄でした。耐えきれず、頭を撫でるために締め切られた部屋にマスクをして侵入です。主も耐えきれず、天から地に来られたのです。

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2022-03-14
2022年3月6日「たった一つの言葉」

 今年度も東奥義塾での授業が祈りに支えられて終了しました。今回も良い出会いがたくさん与えられました。最後の試験には、「あなたが惜しまず命を注げるものは何ですか」という質問に答えていただきました。 これは、使徒パウロが福音宣教のためならこの命も惜しくないとエフェソのリーダーたちに告げた言葉からの問題でした。
 ほとんどの生徒たちが、大切な家族、友人といった自分が好きな人たちを守るためだったら、命を捨ててもいいと答えてくれました。もちろん、他にもユニークな答えがいくつかあったことは言うまでもありません。
 聖書の愛は、友のために命を捨てることだ、と主イエスはおっしゃいました。私たちの友の範囲は、家族や友人といった自分が好きな人たちでしょう。しかし、主のおっしゃる友人とは、罪人も含まれるのです。この深い愛は、人間には到底理解できません。それが、あの十字架の出来事でした。
 私は生徒たちにそのことを伝えられたのだろうか。毎年度、そのことを考えます。すると、試験の解答用紙の欄外に小さく書かれた言葉を見つけました。「一年間、楽しい授業をありがとうございました。」このたった一つの言葉が、祈られていることの証です。

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2022-02-28
2月27日「世界で一番強い国」

 ロシア軍がウクライナに軍事行動を開始しました。しかも、国の利益を脇に置く、指導者の意地とも言えるような今回の動きにはとても驚かされました。
 今まで、「戦争は得するからやるのであって、損する仕組みを作ればいい」という識者の方々の意見に賛同していましたが、今回のことは、その理論を根底から覆すものとなりました。世界はどこに向かっていくのでしょうか。
 先週、東奥義塾の朝の礼拝の中で「世界でいちばんつよい国」という絵本の話をしました。エルマーシリーズの作者であるデビッド・マッキーは、自国の価値観を拡大しようと世界征服を目論む大きな国が、たった一つ残された小さな国を侵略することで、やがてその国の文化が大きな国の文化を飲み込んでいく皮肉を描きました。小さな国は軍隊をもたず、侵略者を歓迎し、共に暮らすことを選択し、大きな国の人々を内側から変えていくのです。
 小さな国とは、さながら主イエスのようです。罪人である私たちを受け入れ、共にいてくださり、神の国の価値観を生きるように、と促すのです。
 ロシアにも、ウクライナにも、主の弟子がいるはずです。彼らが守られ、彼らを通して、あの2000年前のような変革がもたらされますように、と祈り求めるものです。

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2022-02-20
2月20日「関係の深まり」

 津軽に来てから、ずっとお世話になっていた美容師の方がリンゴ農家を継ぐために退職されたのをきっかけに、私も自分で髪の毛を切るようになりました。もちろん、素人ですから上手ではありませんが、大きな失敗もなく、石川先生には「わ、も切ってもらうかな。」と褒められました。
 高校生の時から自分で髪の毛を切るようになり、途中、友人の美容師に切ってもらうようになり、ハワイでは再び自分で坊主にするようになりました。自分できることの利点は、いつでも切れること、費用がかからないこと、好みにできること、です。とはいえ、デメリットもあります。最も大きなデメリットは、切ってくれる人との関係を築けないことです。しかし、そのデメリットを自分で無くそうとしています。
 今でも、リンゴ農家になった元美容師の方と連絡をとっています。昨年は、人生で初めての収穫をわざわざ私たちのところに持ってきてくれました。また、最近のメールでは「畑が一段落したら出張カットしますよ!」との申し出が。お店を通してではない、関係の深まりを感じています。
 継続して関わることの楽しさと喜びは、神に由来するものだと思っています。私のそのような関わりの中で救われました。

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2022-02-13
2月13日「変わらない姿」

 今、この原稿を打ち込んでいるのは、10日の木曜日朝7時45分です。歯の不具合が悪いために歯科医院に出かけ、試合後では原稿が間に合わない状況ですのでご了承ください。
 男子フィギアのショートプログラムでは,羽生結絃選手が氷上の穴に足をとられ4回転が1回転しかできず大きく減点されました。しかし、驚くべきことに、その後は動揺を引きずることなく、ノーミスで演技を終え、そればかりか最高の滑りを見せて演技を終えました。
 今一人は、ジャンプの高橋沙羅選手です。1回目のK点越えの見事なジャンプが規定違反(スーツ)ということで得点なし。それにもかかわらず、着替えての二回目のジャンプも見事なK点越えでした。メダルを逃しましたが見事でした。
 この二人に見られるのは、起きてくる事象に動揺しない強さ、与えられた状況で全力を投じる心の強さでした。それは、今日までの幾多の経験を通して培ってきた強く美しい心でもあります。
 事ある毎に落ち込み、頭を抱えてしまう自らの心の弱さを見つめることが出来ました。一流のアスリートから、いつも本番を生きることの何であるかを教えられました。問題の多いオリンピックに沢山のことを教えられています。さて結果は?

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2022-02-09
2月6日「本当の自分に」

 東奥義塾で生徒たちに勧められたアニメを見ました。それは恋愛アニメであり、高校生たちの話でした。
 過ぎ去った高校時代を思い描けるような、まっとうな高校生ではなかった私にとって、懐かしいと思えるような描写はほとんどありませんでした。しかし、このアニメのテーマは恋愛や高校時代の青春ではないと感じました。
 主人公は人との関わりを面倒に感じるひねくれた人物で、人に合わせることを極度に嫌い、いつも独りでいようとします。そんな彼をある一人の教師が「奉仕部」という部活に強制入部させるところから始まります。そこには、才色兼備の女生徒が一人いましたが、彼女もまた、心のなかにある本音を決して表に出さないため、他者からまったく理解されない人物として描かれている。そこに、いつも他者に合わせてばかりの一般的なもう一人の女生徒を加えて、話は進んでいきます。
 様々な問題に直面しながら、やがて彼らの願いは「本物が欲しい」に統合されていきます。つまり、表面上の馴れ合いを超えた、本音を出し合える関係性ということです。
 この関係性はどこか親近感がありました。なぜなら、それこそが最初期から続く、教会共同体の本質だからです。

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2022-02-09
1月30日「主の守り」

 二年前、弘前市ではじめて新型コロナウィルスのクラスターが発生した時、ほとんどパニックのように対応が迫られました。教会の多くの方々がスマートフォンなどに切り替え、自宅での礼拝参加に移られました。現在、青森県は警戒レベルが引き上げられ、その時以上に感染者が増え続けています。当然、医療機関等は比べものにならないほどの状況にあることでしょう。
 しかし、保健所からの度を超えた要求や、人々の過剰なまでの反応は薄らいできているように感じます。多くの人の中で、淡い期待を持ちながら「いつか、落ち着いたら、以前のように戻るだろう。」と考えていた方々も、「もしかしたら、もうこのままかもしれない。」という気持ちに切り替わりつつあるのではないでしょうか。今後、マスク無しの生活など、果たしておとずれるのでしょうか。
 教会でも、早期にオンライン形式の礼拝を試みたことにより、いつでも移行可能である後ろ盾ができたことは幸いでした。そして、どちらの礼拝形式かを選ぶこともできる現状に多少の安心感があります。本当は礼拝だけでなく、聖餐式や愛餐なども始められればよいのですが、これは何らかの治療法が確立されるまでは難しいでしょう。
 一刻も早く疫病が去るよう、主に祈る日々です。

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2022-01-23
1月23日「とりなし手の存在」

 14日の朝、流雪溝の蓋を閉めようとスコップを振るうと「ピッキーン」という音が聞こえたような痛みが腰に来て、「まさか!?」と思いましたが、そのとおり。ギックリ腰でした。
 ハワイにいるとき、洗面所の下に落ちたハサミを取ろうとかがんだ時に、同じ音がしたことを思い出します。その時は立つことも困難でした。治療に行った病院でクリスチャンの医師に言われました。「君は姿勢が悪い。キチンとした姿勢で歩くと、自動的に腰をマッサージしてくれるように神は身体を造られたんだよ。」
津軽に来て、体重も増し加わり、車が主体の生活で運動不足です。なるべくしてなったのです。
 元々、腰が弱かった私は、高校のサッカー部ではコルセットを巻いて試合に出ていました。それは私の身体的な弱さでした。その弱さに対するケアが不足していれば、当然このような結果になるのです。
 私のギックリ腰を知った教会の方々は祈りのリストにそれを加えてくださいました。子どもたちも祈ってくれました。娘は毎日、腰に湿布を貼ってくれました。私以外のすべての方々が、私のために動いてくれたのです。
 この愛、祈り、献身によって、信じられないスピードで癒やされました。しかし、必要なのは、それを知ってどうするかでしょう。

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2022-01-23
1月16日「関係」

 義塾の廊下を歩いていると、二人の生徒が「先生、むかしDJやってたんですか?」と声をかけてくださいました。「ちょっとだけね。」と答えると、「僕もそういう音楽が好きなんですよ。」とのこと。「ダンスミュージックってこと?」と聞き返すと、「ヒップホップとか好きですね。」と。それから、ヒップホップの好きなアーティストを聞いたり、私が好きだったアーティストのことを教えたりすると、共通の好みが判明しました。楽しそうに色々と話した後、去り際に生徒たちが言いました。「聖書の先生っぽくないね。」
 聖書の先生っぽいとはどんな先生なのでしょう。私には、彼らがその言葉を褒め言葉のように投げかけたように思えました。私が思う聖書の先生っぽさとは、包容力や愛があり、主に対する情熱があり、確かな信仰がある。そんなところでしょうか。確かに、私は包容力も愛もなく、情熱は冷めやすく、信仰は揺れ動き、聖書の先生っぽくないですね。でも、彼らが言った聖書の先生っぽさは、私の考えるものとはちょっと違うかもしれません。なぜなら、彼らが嬉しそうだったからです。
 牧師室に入ると、親友が記した「ヒップホップリザレクション」という書物を手にしている自分がいました。生徒たちと関係を深めるチャンスが来ました。

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2022-01-08
1月9日「原点に」

 『弘前西教会20年誌』と『弘前西教会40年誌』を手に取り丁寧に読み返しました。それは母校である聖書神学校の3月7日の卒業記念礼拝での説教を依頼されたからです。
 「神のなさることは皆その時にかなって美しい」(伝道 3:11)の御言葉を信じつつも、時が近づくにつれて少々負担になってきました。コロナ禍での卒業式のため、20分でとのこと、アベ・ピエールのように短くできればと思いつつ。
 「いざ!」という時、自分の本音が出てきます。「伝道開始」の1年生を送り出すために、少しは気の利いたことを…」などとつい本音のスケベ根性顔をだします。相も変らぬ自分と出会います。
 今までの単なる歴史ではない、生きて働かれる主と共に歩んできた小さな証を、と思い定め『20年誌』『40年誌』を手に取りました。
そこには溢れるばかりの、忘れてはならない主の恵み、家族、共に歩んでくれた多くの、主が備えてくださった兄弟姉妹がいました。言葉にならない感動に心が震え胸がいっぱいになりました。
主は、今一度、原点に帰る時をあたえてくださいました。「すべてのこと共に働いて益となる」ことを!今、ここそが、主の愛と感謝に生きる福音の現場であることを、噛みしめています。

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