156センチの視線

2021-05-10
5月9日「天国への旅路」

 「いよいよ春本番です」と先週書きましたら、5日が暦の上では、「立夏」となりました。
4月29日(金)北西地区総会が青森松原教会で行われた日、高井泰子さんの危篤の報が入り、夜、帰天の知らせが入りました。30日朝、妻と一緒に弘前に向かい、石澤医院から巌さんと遺体安置のために葬儀社に向かいました。
 巌さんと打ち合わせをして、3日(月)に火葬、その後に斎場で告別式をすることになりました。慌ただしい中にも、主の守りと導きに溢れた祝福を覚えることが出来ました。
 巌さんが弘前に住むようになってから8年、その年の8月に、泰子さんは弘前西教会で洗礼を受けられました。ご主人は巌さんが小学校6年生の時、天に召されました。泰子さんは美容院を経営し、巌さんを東奥義塾,北星学院大へと進学させました。体の変調を覚え昨年12月に弘前での入院を決意しました。箕浦姉の好意でズームでの礼拝にも参加されていました。御自分の最期を知り、全てを受け入れ、神様に全てを委ねた最期でした。細い体で、精一杯、全力を注いで「走るべき行程を走り終え」て天国へ。
 わたしたちクリスチャンに与えられている祝福を示されての、約束の天国への旅立ちに教えられることの何と多いことでしょう。主に栄光!

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2021-05-02
5月2日「使徒の働きのように」

 JCMNのニュースレターに掲載するための原稿を依頼されました。初代教会では普通であった教会の七つの本質について、私たちが学ぶようになってから、もうすぐ5年になります。何が変わってきたのだろうか、と考えてみました。
 まず、何よりも自分自身が変えられてきました。「関係」「参加」「能力付与」…。本質という基準があることで、これまでは気づくことができなかった御言葉の深さを感じることができています。
 また、教会のお一人おひとりが神の家族として、それぞれに課題を共有し、祈り合い、励まし合っている姿を頻繁に見ることができます。また、中には痛みを負った方々のためにひざまずいて祈っている方の姿もありました。
 先日、他の教会の方々がおいでになっておっしゃいました。「聖霊の臨在を感じます。」
 罪の世に来てくださった主のように、罪人の私にも聖霊を与えてくださる神は、この教会のお一人おひとりに霊を注いでくださっていると強く感じます。
 この素晴らしい方を証ししたい。今、以前にも増して強い伝道への情熱があります。コロナ禍という、一見すると難しい状況の中で、主はどのように導いてくださるのでしょうか。期待でいっぱいです。

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2021-04-25
4月25日「はじめの愛に」

 今年度から、礼拝の説教前に子どもたちに向けてショートメッセージを語るようになりました。大人の御言葉と同じ箇所を選び、子どもたちのためにメッセージを考えるのは簡単ではありませんが、とても楽しいことです。
 短いメッセージを語ることになれていない牧者が多いのか、地区の会合では、新たに北西地区に来た牧師先生たちは、「3分で御言葉を語ってください。」という宗教主事からの申し出に困っているようなことを口にしていました。そんな方々を見ていると、私も初めて外部でショートメッセージをした日のことを思い出します。
 サムエルやダビデ保育園、東奥義塾や聖愛中高の朝礼拝でショートメッセージを担当するようになってから、短いメッセージの中に、いかに福音を織り交ぜるかに悪戦苦闘しつつ、いつのまにか訓練されてきたようです。今では、ショートメッセージで緊張することはなくなりましたが、逆に、初心を忘れてきたのも事実です。
 新しい年度も、私を新しくつくりかえてくださる霊なる主に信頼して一歩踏み出しました。

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2021-04-18
4月18日「迫害の中で」

 今週は教会総会がもたれます。新しい年度に主が何をしてくださるのか、期待でいっぱいです。
 その一方で、コロナウィルスの影響によって、教会内のクラスターが発生し、そのことに知事が発言したことが話題となっています。どうやら「讃美歌を大声で歌っている」ことに注目しているようです。教会では愛餐という飲食店のような要素、賛美によるカラオケ店のような要素、講壇からのメッセージを受け取る劇場のような要素があるでしょうか。緊急事態宣言の中、時短営業や臨時休館せざるを得なくなった施設や店舗と同じ扱いになるかもしれません。
 かつて、迫害の中にあった初期キリスト教の共同体は、賛美ができず、大人数で集まれず、信徒を装って内部に潜入し、何をやっているか探りに入るスパイがいました。コロナ禍において、このような事態が来ないとも言い切れません。教会は、この先を見据えて、どのように礼拝をささげていくべきかを議論する必要があるでしょう。
 今回の総会では、そのことを皆様と考えてみたいと願っております。一見、ネガティブな要素に見えますが、迫害のゆえに宣教の働きが前進した、かつての教会の姿を思い描きながら、主を礼拝し続ける共同体として、知恵をいただきたいと願っています。

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2021-04-11
4月11日「主の復活ハレルヤ!」

 先週のイースターは、いつものメンバーに久しぶりに佐藤、工藤両兄の若者、平野さんが加わり、16名で喜び溢れる礼拝を守りました。
 キリスト教は、イエス・キリストの復活から始まりました。イースターと言えば、必ず思い出すことがあります。弘前で伝道を開始して6年目(1980年)、不思議な導きでイスラエルに行き、キリストの墓をたずねた時のことです。
 墓はもちろん空っぽでした。心の中で、「主よ、どこにおられるのですか?」と、聞いている自分がいました。「あなたと共に!教会と共に!」の答えが胸に広がりました。イースターの度に、事ある毎に鮮やかに思いでされるこの出来事は、わたしの生きた宝です。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなた方の信仰もむだです」(Ⅰコリント15:14)キリスト教はイエス・キリストの復活から始まりました。十字架も復活がなければ救いの出来事として理解されることは出来ませんでした。
「主は復活され今わたしと共に!」この喜びのメッセージを携え歩む生きた信仰が、わたしたちを通して、失われた人々の、生きる力となり希望となるのです。主の日の礼拝は、主の復活の喜びを生きる時です。「主は甦られた!」ハレルヤ!

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2021-04-04
4月4日「最大の奇跡」

 受難週の早天祈祷会では、主イエスの十字架を仰ぎつつ、その御言葉に聞くことができました。そこで、参加してくださった方々に伺いました。「あなたがイエス様の十字架を自分のものとして受け入れたきっかけは何ですか?」この問いは、初心を忘れてしまいがちな私にとって、重要なものでした。
 日本から遠く離れたユダヤの地で、ある男が、自分は神であると言いながら村々を巡った。彼は人々を癒やし、奇跡的なことを行い、注目を集めた。しかし、権力者たちの妬みをかって十字架に貼り付けにされた。そして、三日目に復活した。
 日本で生まれた私にとって、この話が自分のものであると受け入れることは困難でした。奇跡を信じている人はおかしな人だと思っていました。しかし、自力ではどうにもならない状況に陥った時、「私を救ってください!」と叫び、求めた相手は、あの男。イエス・キリストでした。
 主を信じるようになってから、聖書にある奇跡が本当のことであると信じることができるようになりました。それは、自分の周りで同じように奇跡が起こり、神が生きて働かれていると知ったからです。
 何よりも、十字架を自分のこととして理解できる。これが最大の奇跡ではないでしょうか。

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2021-03-28
3月28日「永遠の命」

 先週、天に召された佑子さんの葬儀が執り行われました。つい一週間前には教会に来られ、次の週から新たな治療計画のもと、元気に回復なさると信じてやみませんでした。しかし、金曜日の朝、主に導かれ、天に帰っていったのです。あまりの突然の出来事に信じられない気持ちでしたが、ご家族との交わりを通して主がそのようにご計画されていたことを知りました。
 その日、タオルケットを手にして、顔を拭い、そのまま天に帰られた佑子さん。キリスト好みの顔にして欲しいと日々願っていたそうですから、きっと主ご自身がお迎えにいらしたんでしょう。とご家族はおっしゃいました。あらゆる点において、備えができていた方だったのだと改めて感じました。
 告別式の最後、喪主のご挨拶の中で、ご長男が「ハレルヤを唱和ください!」と参列された方々に促し、みんなで「ハレルヤ!」と叫びました。また、火葬の際にも、「ハレルヤ!」とすべての人が声を上げる中で、「ありがとう!」という言葉とともに、拍手が送られました。こんな葬儀は見たことがない。そうおっしゃる方もいたほどです。
 主に信頼し続けた人。佑子さんは今も主と共に生きておられます。

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2021-03-21
3月21日「継続の主」

 先週の月曜日、薬をいただきに病院に行きました。女性のお医者さんが担当でしたが、前回の採血により分かったことを教えてくれました。結果は最悪です。
 パスカルが言うように「人は目隠しをして断崖絶壁に走っている」とは、まさに私のことでした。運動不足と暴飲暴食のために、断崖絶壁まであとわずかだと分かったのです。主は、目隠しをして猛ダッシュしている私の耳元に、その情報を流してくださったのです。
 早速食事を見直し、火曜日から妻とともに弘前公園の散歩をはじめました。まず、妻に追いつけません。景色を楽しむ余裕もありません。「もうだめ〜」と弱音だけが出てくるのみでした。
 かつて、サッカーをしていた頃、持久力とスピードだけが取り柄だった私は、その両方を失っていたようです。単なるウォーキングでギブアップ寸前だったのは、ショックなことでした。
 2日経ち、3日経つと、最初のキツさが嘘のようです。主がお造りになった世界を、主がお造りになった身体だけを使って動く。主が与えてくださった空気をとてつもない機能を備えた内臓に取り入れ、とても気分が良いのです。
 継続力のない私は、今も継続して太陽を昇らせる主に、その力を与えてくださいと願うばかりです。

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2021-03-13
3月14日「わたしらしさ」

 まだ、たくさんの雪は残っているものの、牧師室の窓からは、自動車教習場で練習している車が見えるようになりました。春が窓を通して全身を覆います。高校を卒業した社会人1年生が講習を受けているのでしょうか?いつもよりたくさんの車がコースを走っています。
 24節気の「啓蟄」(冬眠していた虫たちが姿を現す)のこの季、温かな日差しを浴び、心が弾みます。後期高齢者の今も、「自分が、自分が」の「スケベ根性」丸出しの自分に気付かされ、後ろめたさを感じながらの日々です。人は年齢を重ねるだけでは成長できません。春の日差しを浴びながらも軋む心を持て余す中、「瞬きの詩人、水野源三」さんの『生きる』の詩を思い出しました。
「神さまの大きな御手の中で かたつむりは
かたつむりらしく歩み 蛍草は蛍草らしく咲き
雨蛙は雨蛙らしく鳴き 神さまの大きな御手の中で 私は私らしく生きる 」      
 わたしの「わたしらしさ」とは何なのだろうか?とあらためて問い直してみます。誇ることのできる何ものもない… そのわたしを生かし担ってくださっているお方がおられる!わたしが私であることを喜ぶ、今なお、永遠の課題の中です。

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2021-03-10
3月7日「背後の祈り」

 先週、東奥義塾の卒業式に出席しました。コロナウィルスの影響を受けて、式典の内容も少し変更されているようでした。
 在校生代表と、卒業生代表生徒、それぞれのメッセージを伺って、双方ともに猛威を振るう新型ウィルスによって、様々な学校行事、部活動などの制約を受け続ける年であったことを吐露していました。しかし、そういった困難を経験したからこその力強さを感じました。
 塾長のジョン先生は「あなたがたは世にあって苦難がある。しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝利している。」という聖書の御言葉から式辞を語られました。苦難は避けて通りたくても避けられないものとして突然やってくる。しかし、勇気を出すようにという主の言葉がこれまでの歴史の中でどれほど人類を鼓舞してきただろうか、と語ってくださいました。東奥義塾で毎朝のように聖書の御言葉から神の愛に触れてきた方々です。自分の力ではどうにもならないような試練の時、ご自身のもとに来てほしいと私たちを待っていてくださる天の父のことを思い出してもらいたいと切に願いました。
 今年も一年間、東奥義塾での奉仕が守られ、祝福のうちに終えられたこと。これは背後の祈りなしには不可能なことでした。心から感謝いたします。 

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2021-03-01
2月28日「人は独りではない」

 受難節(レント)に入り、いよいよ復活祭(イースター)も近づいてまいりました。十字架という厳しく、寂しく、苦しい期間を経て、主イエスが復活という新たな命に生きたように、冬が終わり、春が来て、私たちも新しくされる時です。
 先週、赤磐教会の額田先生からお電話がありました。JCMNのコアチームのメンバーになっていただけませんか、とのご依頼でした。
 これまで、JCMNのコアチームには、津田キリスト教会の水村先生など、お世話になってきた先輩の先生方がいらっしゃいました。数年前から、JCMNでは次世代のリーダーを育てるという意識を持って、例えば各地でYDSと呼ばれる若者たちのグループをサポートするなどしつつ、積極的に動いてこられたようです。
 これまでのJCMNの動きを知っているだけに、「私のような者に務まるはずがありません。」と返答しましたが、他の候補者の方々のお名前を伺ったときに、勇気が出ました。その方々は、ブラザース・ミーティングでいつも共に祈り合う仲間たちだったのです。
 「その先生方と一緒なら頑張ってみます。」とお受けしました。「自分にできないからこそ、主に、そして友に頼るんじゃないか。」そのことに気付かされた時でした。

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2021-03-01
2月21日「新しい関係に」

 水曜日の祈祷会に向けて準備をしていると、教会の二階の廊下を歩く音が聞こえてきました。「誰か来たのかな」と思って、部屋から出ると、懐かしい顔がありました。なんと義塾の聖書科で担当したクラスの生徒だった方だったのです。その時、外は雪でしたので、「部屋に入って温まっていったら?」と声をかけ、招き入れました。
 現在は大学生ですが、これまで色々なことがあったようで、悩みを打ち明けてくれました。彼は高校時代の話を楽しそうに振り返りながら、「先生の聖書の授業は本当に面白かった。」と言ってくれました。その言葉も嬉しかったのですが、それ以上に、悩みを相談できる存在として認識されていたことが、とても光栄でした。
 祈祷会が何時から始まるかを知っていた彼は、「そろそろですね。」と言って帰っていきました。その後、携帯にメッセージが来て、また会う約束ができました。
 先生と生徒というカテゴリーではなく、人と人として、新しい関係性が始まりました。生まれる前から彼のことを愛し、この地上に遣わし、大きな使命を与えられた主なる神のご計画は何であるのか。私のような者に、その一端を見せていただくチャンスをくださったことを心から感謝しています。

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2021-02-14
2月14日「御言葉に導かれ」

 Iさんという方が6日の土曜日に教会においでになられました。12月の講壇交換の日に弘前西教会においでになられたとのこと。わたしの許容量の狭い記憶の中からは探し出せませんでした。
 「お礼と言ったらいいのでしょうか?寄付と言ったらいいのでしょうか?」と封筒を差し出しました。「ともかくどうぞ」、と招じ入れ、実り豊かな、沢山の時間を共に過ごしました。
 「職場の推薦図書として挙げられた『人生を導く5つの目的』を読み、キリスト教に興味を持ち、聖書を読んで実践したところ、人間関係も含め、何もかもがうまくいくようになりました。聖書はほんとうにすごい!」と話してくれました。「教会は何となく敷居が高かったのですが、ネットで弘前西教会を知り訪れました。」と話してくれました。
 「聖書は、旧新約聖書を10回以上読みました。自分の罪のこともわかりました。あるとき、救いは行いによるのではなく、神の恵みだということがわかり、人生が輝きだしました」と。
 職場が遠く、実家に母を訪ねて津軽西海岸に帰って来る途中とのこと。主を賛美しました。お祈りをすると、「わたしもいつもの祈りを!」と祈った祈りの素晴らしかったこと!恵みに満ちた出会いに、主の守りを覚えました。ハレルヤ!

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2021-02-14
2月7日「弟子の派遣」

 いつも教誨師の働きのためにお祈りくださり、心から感謝いたします。
 先週、出所を控えたお一人の受刑者の方のために、刑務所内の聖書クラスの参加者全員で祈りをささげました。
 祈り終わったあと、私はその方に感謝をお伝えしました。「私が教誨師としてこのクラスを担当するようになって、2回目。まだ駆け出しもいいところ。その時、クラスが終わってから、あなたが私のところに来て、『今日のお話感動しました。』とおっしゃってくださったことが、私にとってどれほど力になったか知れません。何よりも、『私もキリストを信じて生きていきたいです。』とおっしゃってくださったことが本当に嬉しかったです。これからは以前とは違います。今度はイエス様と一緒に出ていきます。だから何があっても大丈夫です。本当におめでとうございます。今までありがとうございました。」
 クラス内が聖霊の臨在に包まれていることを感じました。他の方からも、「おめでとう」「ありがとう」という言葉が溢れました。
 最後にその方が言いました。「聖書のこと、神様のことが本当によく分かりました。出たら必ず連絡します。」
 主の弟子が今、世に放たれます。

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2021-01-31
1月31日「十字架と永遠の命」

 先週の前半は暖かい日が続き、駐車場の雪はほとんど溶けてしまいました。厳しい冷え込みと大量の雪、その後始末に追われているときには「何でこんなところに住もうと思った人がいたんだろう。」と不思議に思いますが、時折訪れる暖かい日差しに包まれていると、この前までたくさんの雪に四苦八苦していたことが嘘のようです。
 津軽地方の厳しい冬を経験すると、このような日々の連続ですから、それを人生の十字架と復活に置き換えて理解する日々です。
 それぞれの人生に特有の十字架があるように、雪かきは、この津軽地方のように雪が当たり前の地域特有の十字架かもしれません。それを背負っている時には、不満や疑問がたくさん出てきますが、その後に復活ともいうべき太陽の光が昇ると、あの苦しかった経験も、雪が溶けていくようにすっかり消え去っていきます。どれほどの苦しみだったかを忘れてしまうほどです。
 きっと、永遠の御国に帰るとはそういうものなんだろうと、主がご自身も経験され、私たちに身を持って約束してくださった永遠の命の素晴らしさと期待感に胸が膨らみます。
 主は天から来られた唯一の方。その喜びがどれほどのものかをご存知だった方です。春までもう少し。確かな希望があるというのは何という励みでしょうか

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2021-01-31
1月24日「変化と成長」

 最高気温が氷点下という、津軽地方でも珍しいくらいの大寒波がひとまず過ぎ去って、その爪痕が明らかになってきました。
 教会前の道路では、水道管が破裂したようで、2日間にわたって穴を掘るなど結構な大工事をしておられました。また、教会には、家の水道管が凍結した方々もいらっしゃいました。東奥義塾や聖愛でも、水道管の破損があったようです。
 このような報告を伺うと、やはり並大抵の寒波ではなかったのだと気付かされます。雪の振り方も多かったような気がしますが、とは言っても降るのが当たり前の津軽です。他の地域のような異常な大雪ではありませんでしたので、大寒波といっても例年より少し寒いくらいで、特段の実感はありませんでした。
 そんな中、いつも通りに雪を片付けていると、近所の方が声をかけてくださいました。「すっかり津軽の人になったねぇ。」
 2012年の9月から弘前に来ましたから、今年で9年目です。私が「津軽の人」になる以上に、主は大きな変化を与えてくれました。一人だった子どもが二人になり、保護司や教誨師、聖書科の非常勤講師になりました。今年も色々なことがありそうです。そのすべてが私を変化させ、成長させてくださる主からのプレゼントです。

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2021-01-17
1月17日「主に用いられて」

 大寒波の影響で、初めてだった除雪機の操作もプロ級になりました。時間はかかりますが、とても楽チンで、唯一の問題は指先が凍傷になりそうなほど冷えることだけです。というのも、ほとんど身体を動かさないからです。
 私たちの教会が除雪機を使うようになったのを見て、近所の方が「それ貸してけ」と言ってきました。「教会の物なので、貸すのは難しいですが、相談してみます。」と言ってリーダーたちと話し合いました。近隣の方々で、特に身体が不自由だったり、お年を召していて困難を覚えていらっしゃる方々のために、除雪機を使おうということになりました。
 先週、時間を見つけて屋根の雪がたまっていた家の雪を片付けました。除雪機があっという間に雪を飛ばすのを見て、「早いなぁ!」と感激されていました。作業を終えて帰ろうとすると、献金と缶コーヒーを頂きました。主がお喜びになった証しとして、感謝してお預かりしました。津軽の人たちは甘い味の缶コーヒーが好きな傾向にあると思いますが、私はブラックが好き。そして、何といただいた缶コーヒーもブラックだったのです!
 近隣の方々のために仕えることができた喜びと、大寒波のあとの束の間の休息を楽しんだ1週でした。

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2021-01-15
1月10日「あおいくま」

 今年の浪岡の雪は「もの凄い!」の一言に尽きます。12月中だけで、昨年の総積雪を遥かに超えています。弘前に行くと、「ワー なんもね!」です。1週間共に過ごした牛山家の「めごこ」たちと別れた次の日は、今年最初の祈祷礼拝でした。
 その後、妻の買い物の運転手としてドラッグストアに付き合いました。会計を終わって籠に商品を入れている時、一人の女性が近づいてきて、ためらいながら「石川牧師……?」。「はい、そうですが。」と答えると、「やっぱりそうだった!時々見かけていたんですが、なかなか声をかけられなくって」とそれは嬉しそうな笑顔。聖愛で授業を受けていたとのことで、妻のことも知って「先生」と言っていました。「いろんな授業の中で、聖書の時間は、心が豊かになる楽しい時でした」と、しばらくお話しして、「今は毎週3回、弘前の病院に行っているんです」とのこと。分かれる時に、外でしたが、ご本人と病気、ご家族のことをお祈りさせていただきました。しっかり胸に手を組んで祈っている姿に心打たれました。
 「あおいくま」をおもいだしました。「あせるな おこるな いばるな くさるな まけるな」です。イエス様が一緒(インマヌエル)の今を生きるようにと促され原点に帰るお年玉をいただきました。

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2021-01-03
1月3日「主の確かさ」

 あけましておめでとうございます。
 例年であれば、父が川崎から来たり、私たちが里帰り上京したりというシーズンですが、今年はコロナウィルスの影響でそのようなことができませんでした。おそらく、皆様の中にも、同じような境遇の方々がいらっしゃるかもしれません。
 昨年、この新型ウィルスの影響が世界中に拡大したことを受けて、様々なことが変化せざるを得ませんでした。特に、集まって礼拝をすることができなくなった時期には、礼拝を中止する教会もあったほどです。しかし、幸いなことに、西教会の方々はスマートフォンに切り替えられたり、一生懸命オンライン礼拝に取り組んでくださったこともあって、礼拝を中止することなく、全ての聖日において、共に礼拝をささげることができました。
 未だ終息が見えない状況の中ですが、聖書に示された終末の時に備えて、主が再びおいでになるのを待つ姿勢を新たにすることができたのではないでしょうか。そんな中でも、明日をも知れぬ日々の中で、永遠のいのちの視点で世界を見ることができる信仰が与えられていることを心から感謝します。
 新しい年になっても変わらない、主の確かな約束を握りしめつつ。

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2020-12-27
12月27日「体験型クリスマスプレゼント」

  いよいよ駐車場が整備されました。このところの大雪で、いつになったらできるのかと焦りつつも、ワクワクしていましたが、ようやくの完成で、ついに除雪機も導入です。
 除雪機導入に先立って、連日の雪かきを手作業で行っておりましたが、町田さんが早朝からご自宅の雪かきを後回しにして、教会に手伝いに来てくださいました。自己犠牲の奉仕の姿に、主の姿が重なりました。
  クリスマス・イヴの夜、礼拝後に皆で外に出て賛美と祈りの時を持ちました。地域の方々の祝福のため、主の福音がさらに拡大していくように、駐車場が用いられることを皆で喜びました。
  この時期に完成することも、主がクリスマスプレゼントとしてとっておいたのでしょうか。証しになるには、ちょうどよい時期です。
  天の下、すべてのことには時がある、という聖書の御言葉の通り、主の憐れみとご計画が前進していくことを体験させていただきました。
  このために、多くの祈りがささげられてきました。また、たくさんのお支えもありました。
  いつも、支えられつつの歩み。忘れることなく、個人的なクリスマスプレゼントとして、謙虚さをください、と願いました。

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