156センチの視線

2021-10-24
10月24日「福音の本質」

 先週の日曜日、礼拝のあとに高校生のY君を前に呼んで、彼の決心をみなさんと分かち合いました。特別に、彼を心にかけていた一人、コルドウェル・ジョンさんにお祈りをしていただきました。Yくんがイエス・キリストを信じ、洗礼を受けることを決めたからです!
 後日、Yくんと聖書の学びをする中で、洗礼式のことを分かち合いました。帰り際、彼が言いました。「まだまだ分からないことばかりですが、洗礼が楽しみです!」
 コロナ禍の中で、神の御国が確かに前進しているのを感じます。引き続き、若者たちの救いが起こされ、リヴァイバルの火が津軽の地に拡がっていくのを見るようです。もちろん、リヴァイバルは目的ではなく、単なる手段であり、神の栄光が表される一つのしるしであろうと思います。
 問題課題があり、病があり、壊れた人間関係がある。その回復ももちろん手段です。それは神が生きて働く証となるためのものです。大事なのは、「見ないで信じる」こと。
 何も分からなくても、主が救い主であることを信じることができること。それが福音です。

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2021-10-17
10月17日「祈りに支えられ」

 先日、刑務所で聖書の学びをしているとき、ある受刑者の方が言いました。「自分はもうすぐ出所ですが、出てから先生の教会の礼拝に参加してみたいのです。オンラインで礼拝を中継したりしていますか?」答えはイエスです。「教会でも皆さんのことをお祈りしているので、実際にオンラインでもお会いできれば、教会のみんなも喜ぶと思いますよ。」
 その後、他の方々からも教会のことを色々と聞かれました。すると、後ろにいた職員の方が「先生の個人情報を聞くのは待ってください。」と参加者の方々に注意しました。クラスが終わってから、別の職員の方に「実際、どの程度まで開示してもいいのか、責任者の方に聞いていただいてもよろしいですか?」とお願いしました。
 後日、再び刑務所に行くと、「前に伺っていた件ですが、特にルールはないそうです。」とのことでした。安心しました。もし、何らかのルールがあって抵触していた場合、対話形式のクラスから講義形式のクラスに変更することになったでしょう。その不安を打ち明けると、「教誨のクラスについては1回毎に報告書が上がってきます。先生の講義は評判いいですよ。」さらに安心しました!
 これに奢らず、職員、受刑者の双方に福音が届くことを期待します。

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2021-10-09
10月10日「天使の働き」

 「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされている」(ヘブライ1:14)と聖書にあります。皆さんは天使についてどのようなで、理解を持っていますか?
 天使は、新約においては、キリスト降誕の時のみならずたくさんでてきます。ご存知でしたか。是非興味をもって聖書を読んでみてください。きっと驚きに満ちた発見をすることでしょう。
 ドストエフスキーは、危機を通り抜ける度に「誰かが自分のために祈ってくれたのだ」と感謝の祈りをささげたといいます。その信仰が作品の豊かな薫りと深さを与えたのでしょうか。
 わたしは幼稚園の時から教会に通っていましたが、「天使」は、クリスマスの時だけの出てくる特別出演者のようでした。今、この年齢になって、さまざまな時に、「天使」と出会うことへと導かれていることに感謝しています。
 そして、今この年を迎え、自らが小さな天使となる希望を与えられて歩めることの希望をいただきました。祈りには天使の翼が付いていることが確信できるようになったからです。あなたも天使の仲間に加わりませんか。小さな「祈り」、「笑顔」、「言葉」の天国出張所浪岡教会の天使として。

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2021-10-03
10月3日「主の子どもたち」

 先週の木曜日、いつもであればダビデ保育園で木曜礼拝をささげているところですが、9月中は休止でした。そんな話をしていると、息子が言いました。「お父さんに来てほしい!」幼稚園でのお誕生日会のことです。
 コロナの影響でどちらか一人の親が参加できるというプレミアムなお誕生会です。いつもは妻が付き添っていますし、息子もお母さん大好きっ子なので、今回もいつもどおりか、と思っていたところに息子の一声です。「お母さんは来られる日が多いけど、お父さんはなかなか来られないから。」という理由だそうです。息子はとても優しい子で、親である私にまで配慮してくれているのです。
 さて、当日は昇天教会に集合し、子どもたち全員と誕生月の子どもの親たちが礼拝をおささげしました。司式をするのは長谷川司祭。なんと、聖公会には珍しく、同志社大神学部出身の大先輩です。
 とても楽しいお誕生会でした。幼稚園には教会に来ている子どもたち、来たことのある子どもたちがいました。彼らもまた、私のことを覚えていて、楽しそうでした。

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2021-09-26
9月26日「みんな特別」

 先週の木曜日、JCMNのサミットがオンラインで開催されました。このような集会は、通例であれば特定の講演者の話を聞いたりするものですが、私たちは「みんなが特別な人」ということで、「教会の本質に出会ってどうなったか、これからどうしたいか」というテーマで、それぞれの証を分かち合う小グループを持ちました。集まった瞬間からこのようにグループに別れ、それぞれが同じ持ち時間を使って証をするというのは、珍しいのではないかと思います。
 かつて、北西地区でもそのような集会を持ちました。テーマは「私が救われた経緯」でした。しかし、「そんなことでは時間が余るのではないか。」「しゃべれる人は限られる。」といった懸念が出されましたが、蓋を開けてみれば、全く時間が足りず、「もっと話を聞きたかった」「あの人がそんな歩みをしてきたなんて」という驚きと感動の声で満ちていました。
 もちろん、特別な方が特別な話をする集会も素晴らしいものですが、それしかないのはもったいない事です。初代教会では当たり前だった万人祭司の価値観を取り戻すため、教派を超え、牧師や信徒といった立場も超えて、全国の方々と祈りを共にできたことは、大きな喜びであり、恵みでした。

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2021-09-19
9月19日「獄中からの賛美」

 先週、刑務所に行くと新しい方がクラスに参加されていました。新しい方が来ると必ず聞くことがあります。それは、どうして聖書を、あるいはキリスト教を学ぼうと思ったのですか、という質問です。今回の方はこうおっしゃいました。「賛美歌が歌いたいからです!」その後、皆さんに言いました。「では、新しい賛美に挑戦しましょう!」と。
 これまで、刑務所に備え付けの旧賛美歌から「いつくしみ深き」や「おどろくばかりの」を歌っていましたが、「これから何曲か歌いますので、その中から多数決で決めましょう。」と言って、4曲歌いました。1曲終わるごとに拍手をしてくださるので、照れながら、「では、今まで歌った曲でどれがいいですか?」と伺うと、ほとんどの人が「主の癒やし受け取ろう」を選んだのです。ある方が言いました。「その曲からは、まるで神様の愛が溢れ出ているようです。」
 新しい方も加わって、賛美の意味や、大きな声で歌うと心に入ってくることを告げて、みんなで歌いました。「いつくしみ深き」です。
 新しく参加してくださった方は、本当に賛美歌が歌いたかったんだな、と分かるほどの大声量で、友なる主の素晴らしさを賛美しました。いつもは静かな刑務所に、救いを求めて神のもとに来た人々の、叫びにも似た歌声が響きました。

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2021-09-12
9月12日「祝福を生きる」

 毎日聖書を読み、聖書を語るために学び、聖書を生きようと祈り、聖書に従うべく自らを整える。そのような日々の中にいると、自分が御言葉と共に歩んでいるかのように錯覚してしまいます。
 テレフォンバイブルの準備をしていた時、「敵を愛し、自分を迫害する人のために祈りなさい」(マタイ5:44)の御言葉を与えられ自分の今日を省みました。実体の伴わない自分を示され悔い改めの機会を与えられ感謝しました。小さなことに「怒り、腹を立てる」のでは、相手と同じかそれ以下の存在でしかないことを示されたのです。
 御言葉を、生きる人間になるために、その当事者のために「祝福を祈る」ことへと方向転換しました。そのことを義塾の礼拝で話しました。授業に行くと生徒が、「先生、今日の話,いがった!」と。夏休み以後度々言われます。
 御言葉は、それを「生きるわたしの為に」あることを再確認し励まされています。「キリストを生きる」ことには程遠くとも、キリストと共に-インマヌヱル-を生きる希望は約束されています。不可能に挑戦するための信仰の人生です。「腹が立ったら、侮辱されたら」不本意であってもその人のために祈ることへと幾度目かの舵を切ることにしました。人生が少し軽やかになりました。 石川

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2021-09-05
9月5日「祈りの記念」

 子どもたちを連れて弘前公園に向かう途中、家の近くにある水門の急流を覗くと、まだ小さな鴨が2羽、流れの速さに負けて飛べない様子でした。遊んでいるのかとも思えたので、そのままにして公園で遊ぶことにしました。
 小一時間が経過して、帰り道にもう一度覗いてみると、まだそこにいたのです。子どもたちが「かわいそう!」「助けられないの?」「どうにかして!」と騒いでいるので、「助けたくても、自分の力では無理だと思うなら、どうすればいいと思う?」と聞くと、「神様にお祈りする!」と言って祈り始めました。「誰かを連れてくる!」ではなく、「祈る!」と言ったことに驚きました。
 ちょうどその時、近所の方が長い棒のようなものを持って外に出てきました。妻が状況を説明し、物干し竿に洗濯かごを取り付けてやってきました。私はそのアイテムを受け取ると、溺れながらも捕まらないようにと逃げる子鴨を救い出しました。子どもたちは歓声を上げて、主を賛美していました。
 子どもたちの祈りが聞かれたおかげで、私も子鴨と一緒に泳ぐはめにならずにすんだのです。その時に使ったアイテムは、その方の家の裏に今も置かれています。私たちにとって、「祈りが聞かれた」記念品となりました。

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2021-08-29
8月29日「証と疑問」

 月に一度の刑務所教誨では、現在5名の方々が聖書を学んでいます。毎回の質問コーナーでは、様々な質問があげられます。独身の方は、「一度好きになった女性と別れ、次に好きになった女性がいればダメなんでしょうか。」「酒や煙草は大丈夫なんでしょうか。」「教会にはどんな種類があるんでしょうか。」「お墓参りはしていいんでしょうか。」
 それぞれの質問に、聖書の箇所を適用して、わたしなりの考え方をお伝えします。すると、「〜しなければならない。」の呪縛から解放されていく皆さんの反応と明るい表情が印象的です。何よりも、自分の罪を赦してくださり、十字架で命を捨ててまで助けてくださる神の姿に驚きと感動を覚えておいでなのがよく分かります。
 ある方は、自らNPO法人の「マザーハウス」に連絡し、文通を始めたと言います。クリスチャンが始めた刑務所文通のNPOですが、そこで大きな励ましを受けているそうです。そのような証とキリストにまつわる多くの疑問が出され、今ではこちらで準備していったものを全くやらず、ひたすらにQ&Aを繰り返しています。
 笑いあり、涙あり、神の姿に感動あり、と。多くの方々の背後の祈りを感じるひとときです。

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2021-08-22
8月22日「小グループのルール」

 先日、JCMNに連なる全国の教会の諸先生方と、小グループで大切なことは何かを考えました。セルグループを持つ、多くの教会ではいくつかのルールがあるようです。それは、「裁かない」「教えない」「秘密を守る」「相手を尊重する(愛する)」といったものでした。
 私たちの教会にも、いくつかの小グループがあります。おそらく、それぞれの小グループでこれらのルールは暗黙のうちに守られてきたことでしょう。なぜなら、そのようなルールは小グループのみならず、信仰生活においても重要な要素だからです。
 個々人に与えられた使命も違えば、聖書の理解も異なります。また、信仰生活の長さは、そのまま信仰の深さや神との出会いの体験数と比例するものでもありません。自己発見型のバイブルスタディを経て、それぞれがご自身の思いを率直に言い表せるようになってきた今、教会内に様々な考え方が出てくるようになりました。しかし、それは同時に個性の違いを明白にするものでもあり、注意しなければ、批判や裁きにつながってしまいかねません。
 私たちはどんな人でも神の助けを必要とする罪人であり、主イエスとその御言葉が唯一の教師であり、互いに愛し合うチームとして導かれていることを、今一度、確認する必要があると感じました。

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2021-08-15
8月15日「個々人の使命に」

 先週の礼拝後、定例の役員会がもたれました。そこで、リーダーたちに礼拝のささげ方について意見を求めました。
 テーマは御言葉に対する応答でした。御言葉を皆で分かち合うための良い方法はないものかという議論がなされました。そこで、私が提案したものは、礼拝の中でグループに分けて御言葉をシェアするという方法でした。そのことについて、そのことが合う人もいれば、合わない人もいるだろうという反論や、御言葉を分かち合うことは良いことだという賛同など、様々な意見が出される中で、ある方が言いました。「この教会は今、本質的な教会形成に歩んでいる。それは個々人の使命を大事にするものだ。とすれば、牛山牧師が言っていることは、みんなで同じことをやろうということにはならないだろうか。」
 私は打ちのめされました。コーチングネットワークで得た素晴らしい価値を教会に紹介したいという熱意のあまり、他の教会でやっている方法を安易に持ち出し、神が与えた各個教会の独自性や個々の使命に反して、全体主義的なことを提案していたのです。
 牧師以上に本質的な教会形成を身に着けている。この共同体は大丈夫だ。そう思えた最高の役員会でした。

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2021-08-08
8月8日「主の安息」

 「安息日を喜びの日と呼ぶこと」(イザヤ58:13)とすべく、モーセを通して十戒が与えられて以来、ユダヤ人は十戒の第4戒、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エジプト20:8 申命5:12)を命がけで守ってきました。
 「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、第七の日を神は祝福し、聖別された。」(創世2:3)ことを心に留めるためです。初代の教会も(主ご自身も弟子たちも)「安息日」を守ってきたことは疑問のよちはありません。(マルコ2:23他)
 今日、教会は、この安息日に代わり、主の復活を覚え、日曜日を「主の日」として礼拝を捧げ続けてきました。主ご自身が、「安息日は人のためにあり、人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2:23~)と言われた時、従来に増していっそう豊かで、真の喜びに満ちた神の祝福の「安息日」をお考えだったのではないでしょうか。
 「ユダヤ人が安息日を守って来たのではなく安息日がユダヤ人を守ってきたのである」の指摘に深くうなずくところがあります。同じことがわたしたちにも言えます。主の復活を覚える「主の日」、イスラエルも教会も、「一つの神の民」「神の家族」として、共に真の喜びの安息の日を祝う者となるために、「主よ、御国を!」の祈りに。

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2021-08-01
8月1日「悔い改めの日」

 先週の水曜日、刑務所長から表彰を受けました。私の他にも、篤志面接員、舞踊の師範、誕生会を企画している方々が表彰されました。
 私以外の方々はすべて女性で、人生経験も多く、長きに渡って更生保護の働きに従事されてきた方々でした。私は最も年齢が若く、教誨師、保護司としての働きも、その方々の足元にも及ばない存在でした。
 表彰式が終わり、新聞記者からのインタビューの時間が設けられていました。そのことを伝えられた私は、得意げに、あれこれと質疑応答を頭の中でシミュレートして準備していました。さて、インタビューが始まると、記者はまず女性に心境や具体的な活動などを伺いました。そして、他の女性たちにも同じような質問を投げかける中で、すべての方々が、あらかじめきちんと準備していたであろう答えと、それぞれの活動の中で起きた受刑者の方々とのエピソードを話されたのです。あまりにも素晴らしく感動的なメッセージの数々に、わたしの頭の中に蓄えられていた付け焼き刃の話題は色を失っていました。そして、私は一切、質問されずにインタビューの時間は終了しました。
 帰りの車の中で主を賛美しました。高ぶる者は低くされる。まさに御言葉のとおりです。おかげで恥ずかしい思いをしなくてすみました。

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2021-07-26
7月25日「共に」

 青森県にある教会の超教派ネットワークであるGospel Celebration Networkの祈祷会が二ヶ月に一度オンラインで持たれていますが、今回のメッセンジャーは私でした。
 今回は一人の人を大切にする主の姿から、わたしの失敗談をお話し、各教会の先生方と御言葉を分かち合いました。また、毎回それぞれの教会の祈りの課題を共有し、共に祈りを合わせる機会を持っています。
 青森ジョイフルチャペルでは、中高生のための集会の恵みと、求道者が受洗するための近親者からの反対について、また、青森バプテスト教会からは、独自に聖書学校を開設し、それぞれの教会が献身者を育てるため、現在角本先生がされている学びの祝福と、クリスチャン防災士のネットワークについて、平川福音キリスト教会からは、開拓教会として初めての受洗者が与えられるように、との祈りのリクエスト。それぞれの教会が与えられている恵みと祝福を感謝し、各教会の課題を祈ることは大きな励ましです。
 祈祷会の後、平川福音キリスト教会に4月から宣教師として派遣されてきた中村先生と交わりの時を持ちました。営業職に着いていたアメリカの地で、神の召しを受けてこの津軽に。主はまたしても素晴らしい方をお送りくださいました!

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2021-07-18
7月18日「本当の自由とは」

 先週の祈祷会では、「真理はあなた方を自由にする。」(ヨハネ8章)の御言葉を分かち合いました。主イエスは「私は道であり、真理であり、命である。」とおっしゃいました。主こそ真理なのです。
 まだキリストを知らない頃、自由とは何ものにも束縛されない状態だと思っていました。しかし、ホッブズやロック、ミルやヒュームのように、自由をテーマにして思想を展開してきた人々の意見にも見られるように、国家や法が必要だったり、どこに行っても、何ものにも束縛されない自由は無さそうです。ですから人々は言うのです。「自由には責任が伴う。」
 しかし、自由とは、そもそも罪人である人間が自己発明的に生み出せるようなものではないと聖書は断言し、主は「もし、わたしの言葉にとどまるならば」と自由の出どころを明確にします。
 実際、自由とは国家にでもなく、法にでもなく、ましてや自分勝手でもなく、キリストのもとにしか存在しないのだと私は知ったのです。
 そして、究極的に言えば、神が与えたもう自由を「どう生きるのか」であり、神に背くという自由を行使してしまった失楽園のごとく、御言葉から離れないように生きることが本当の解放ではないかと思うのです。

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2021-07-11
7月11日「天国はここに」

 トマス・アクィナス(中世最大の神学者)以来の神学者と言われるカール・バルトに、「天国とはどのようなところですか?」と聞いた人がいました。それに対して、「あなたの嫌いな人もたくさんいるところです。」とバルトは答えたといいます。
 いかがですか?この答えをあなたはどうおもいますか?「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」(ローマ14:15)とのみ言葉があります。自分と価値観の違う人について、パウロが言及した言葉です。
 天国には「あの人にはいてほしくない!」という人がいっぱいいるのだというのです。そんな天国などない方がいい!とお思いになりますか?どうもわたしたちが思う天国と違うようです。
 十字架につけられたイエス様を罵る人たちのため主は祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と。
わたしたちは日々の祈りの中で、「主の祈り」を祈ります。「御名が、御国が、御心が…」と祈るわたしたちです。とすると…。
 今ここで、「天国であることを先取りして」生きることが、天国の信仰を生きることになるのでは⁉ と思いを新たにしています。天国を今ここで!心躍るチャレンジではありませんか。

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2021-07-05
7月4日「撒かれた種」

 25日の金曜日、いつもであれば東奥義塾の朝の講壇には私が立つのですが、その日は創立記念礼拝。なんと聖愛中高の教師であり、私たちの教会の神の家族、Sさんが御言葉を取り次いでくださいました。
 礼拝が始まる前、塾長や宗教主事とともに、私も祈りの輪に加えていただきました。そこで初めて知ったのですが、Sさんが卒業した年は、私の生まれた年だったのです。さらに親近感をいただいた私は、後方で祈りながらメッセージを拝聴しました。
 学校生活、そしてキリストとの出会い、導いてくれた友の死、ありのままを受け入れてくださる神の愛について、学生たちにも分かりやすく御言葉を紐解いてくださいました。きっと神の愛に触れられた学生がいたことでしょう。
 かつて、東奥義塾や聖愛中高には尊敬するクリスチャンの先生方が何名もいらしたようです。今でも、数は少なくなったかもしれませんが、そのような先生方がミッションスクールの根幹を祈りをもって支えておられる。そのことを改めて感じることができました。
 青年たちを教育することに特化した教会として、そのミッションに遣わされている一人ひとりの尊いお働きがますます祝福されることを祈ります。
 丁寧に植えられたその種が芽吹くことを信じます。

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2021-06-27
6月27日「恐れない!」

 今年は阪神タイガースの調子が良く、この強さは本物だ、と思わせるようなシーズンを送っています。阪神は昨年のドラフト会議で、4球団競合の末、近畿大学から佐藤輝明選手を一位指名で獲得しました。
 遠くに飛ばす力がある、スケールが大きい、といった下馬評がありましたが、そこはプロ。シーズンが始まったらどうなることやら、と思ってみておりましたが、彼の実力はとてつもないものでした。
 新人でありながら、本塁打王を争うほどの実力を発揮し、打った瞬間に本塁打を確信して天を仰ぐような動作、ベンチに帰ってきてからの「Z」ポーズは、大好きなももいろクローバーZへ向けられているようです。何よりも、球界一の三振数を記録しながらも、ブレることなくバットを振り続ける姿には、ルーキーとは思えない落ち着きと迫力があります。
 彼の姿を見た多くの関係者が口を揃えて言います。「彼の失敗を恐れない姿勢がチームに影響を与えている。恐れることはないのだ、と。」
 救い主と出会った多くの人が恐れから解放されていきました。嵐の中で眠るような大胆さは、周囲にも影響を与えていったのです。
 主を信じる一人の人間として、思い煩わないことの大切さを教えられています。

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2021-06-27
6月20日「父なる神の目線」

 妻が自動車教習所に通い始めて一ヶ月近く経ちました。妻が不在の時には、子どもたちと一緒の時を過ごすチャンスです。
 先日はパエリアを作りました。いつもは簡単に炊飯器で作るのですが、今回はフライパンで挑戦してみました。
 予想通り、フライパンでご飯を炊くのは難しく、上の方は少し芯が残ったような感じになり、下の方は柔らかくなりすぎたようです。最後に混ぜた後、少しだけ強火で水分を飛ばしましたが、納得の出来には程遠いものになってしまいました。
 スプーンを握って待つ子どもたちの前にフライパンを持ってくると、大好きなエビやイカが乗っている様子に興奮していました。私が「ちょっと失敗しちゃったよ。」と言うと、「そうなの?」と。しかし、いざ食べ始めると「美味しい!」「どこが失敗なのか分かんないよ!」と残らずたいらげ、何度もおかわりしてくれました。
 そんな子どもたちの姿を見ていると、父なる神の愛を感じることができました。「たとえ、あなたが失敗だと思っていても、私はそうは思わない。」まるで主の声が聞こえてくるようでした。素晴らしい時間をくださった主に感謝です。

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2021-06-13
6月13日「終息への祈り」

 6月10日(木)午前中の東奥義塾の理事会が終った後、妻と一緒に石澤医院にワクチン接種に出かけました、思ってみたこともない後期高齢者となり、四捨五入すると80歳!ただ驚くばかりです。まだまだ若いつもりでいても、あらゆる意味で全てを再検討する時がやってきました。
 1時半の受付ということで10分ほど早く着いたのですが、すでにたくさんの人が並んでいました。検温をして待つこと暫し、重装備をした石澤医師の問診の後、テレビで見なれた風景の注射!顔なじみの看護師さんたちの、きびきびした凛々しくも優しいいたたずまいに感動しました。注射は、あっという間に、ほとんど痛みもありませんでした。これもテレビの画像通りに。
 3時までの1時間半に、60名ほどの接種を終え、それからは通常の診療日程に戻るとのこと。今日の医療状況を少し肌で感じることが出来ました。
 スムーズに注射を受けるため、注射を受ける人は土足で病院内に。効率よく、しかも適切な医療を提供できるのかを考えての工夫が感じられ、柔軟な対応に感心ました。スタッフの一人一人の爽やかで優しくも頼もしい姿に感動し、良き学びの時となりました。今一度、一日も早いコロナの終息と、医療従事者のために祈りました。

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