156センチの視線

3月24日「主の涙」

 先週の火曜日、娘の卒業式に参列しました。ほとんどの女子が袴を着ていて、男子はスーツ姿でした。私たちの時代は、男子も女子もダボダボの中学の制服が多かったように思います。時代が変わったことを目に見えて感じるときでした。
 式も終わりに差しかかり、卒業生の退場に併せて、音楽が流れ始めました。すると、近くに置いてあった卒業生がもらうんだろうと思われた花束を手にとった一人ひとりが、親たちのもとにそれを届けたのです。しかも、ほとんどの生徒の目に涙が浮かんでいました。
 その後、涙しながら退場していく姿を見ながら思いました。とてもいいクラスだったんだろうな、と。1学年に何クラスもあり、クラス替えが頻繁に行われるのと違って、良いときも悪いときも常に一緒に過ごしてきた、正真正銘の仲間たち。学校が変わり、クラスが分かれ、それぞれの歩む道が少しづつ離れていくかのような寂しさと、ここまで歩んできた達成感、挫けそうになったときも立ち上がってきた我慢の日を振り返るのか、その涙の意味は一言では言い表せないものでしょう。
 聖霊のもたらす涙もこのようなものだな、と感じていました。その奥にたくさんの意味を宿した涙。主の流された涙もこのようなものだったのでしょうか。