宣教
5月24日「何を見ていますか」
マタイ20:1〜16
労働の対価を得ることが当たり前の世界にあって、ぶどう園の主人の物語は不公平に映ります。もちろん、この物語に出てくる主人とは、天の神のことでしょう。多く働いても、わずかしか働かなくても、与えられる対価は同じだという主人の主張に反論する労働者の姿は、等しく人間の姿だと言えると思います。
人が不平を抱える時、その目線には何が映っているでしょうか。仮に、この労働者がそうであったように、主人である神との契約関係を忘れ、他の人との比較の中でしか自らを推し量れないとき、私たちは神のことを忘れています。また、歩んできた過酷な日々を思い出し、そのことに支配されるとするならば、私たちは神の支配よりもそちらを選んでいることになるのです。
まるで夕闇のような人生の谷で、あなたを見つけ、何をしているのか尋ね、ぶどう園という名の素晴らしい天国へとあなたを連れてきた方は、あなたのために、何度、足を運んだことでしょうか。あなたが神のことを忘れているときでさえ、神はあなたのことを忘れたことはありません。そして、あなたに対する対価と他の人に対する対価は同じです。この世界のルールに照らす時、価値が変わってしまうだけなのです。