宣教
12月27日「共にいる神」
創世記28:10〜22 神がご自身を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と表現されます。これはどんな意味があるのでしょうか。
もし、あなたがご自分のことを人々に示そうと思うなら、どこどこの誰々です、と言う時に、マイナス要素のあることを添えるでしょうか。アブラハム、イサク、ヤコブは、人間的に優れていたわけではなく、神を信じるようになってからも罪を犯すことがあったようです。しかしながら、神である主は、彼らの神であることを堂々と告げるのです。神は、どんな人の神と呼ばれることになろうとも、喜ばれる方であることを示しているのです。
そして、神の名はインマヌエル。私たちと共におられ、決して見捨てない、という名です。もしかしたら、あなたは神を忘れて何週間過ごしても平気かもしれませんが、神はあなたを1秒たりとも忘れることはできません。そして、それは永遠に続きます。
二人三脚で歩む夫婦や、仲間たちの素晴らしいエピソードが世界中にありますが、神とともに歩むエピソードを超えるものはありません。
その計画は現在進行形であり、思い通りに行かないこともあるかもしれません。しかし、どんなことがあったとしても、主はここにおられるのです。