宣教
4月11日「偉大なる日毎の糧」
詩編121:7-8 ヨハネ4:31〜34
「♪山辺にむかいてわれ 目を上ぐ 助けはいずかたより 来るか。天地のみ神より 助けぞ我に来たる。(賛21‐155)」のみ言葉は、わたしたちの由来と、宿るべき場所が何処か?を明らかにします。
主は「あなたの出で立つのも、帰るのも見守る」とあります。信仰は、住み慣れたこのところから出ることと、神のもとに帰ることであると知ります。
確かに、信仰者とは出る人です。アブラハム、モーセのみならず、ペトロもパウロも、今いる場所から、神の指さす処へと出で立ちました。「信仰」とは従うことを含む最もダイナミックな動詞です。
昼食を買いに行った弟子たちに主は、「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」と言われました。「主の祈り」の、「日毎の糧」の意味が鮮やかに浮かんできます。「御名を、御国が、御心が…」の祈りこそがわたしたちの祈り「日毎の糧」なのです。
昼に人の目を避けて水を汲みに来たサマリヤの女は、イエス様と出会ったその時から全く変えられ、恐れる人々への「キリストの証人」となりました。
「主の祈り」こそは、わたしたちとすべての人々に奇跡をもたらす、「永遠の命に至る水がわき出」る、奇跡をもたらす祝福の井戸なのです。