宣教
7月4日「神にできない唯一のこと」
エフェソ3:14−21
使徒パウロはエフェソの教会のために熱心に祈りました。そのあまりの情熱は、神を前にして膝をつくほどだったのです。
祈りはまず、神の御名の権威がすべての人に与えられている、との大胆な宣言から始まるのです。そして、人に内在する「内なる人」を強めていただけるよう祈ります。また、キリストの愛が、その広さ、長さ、高さ、深さにおいて、どのようなものかを理解し、その豊かさに触れて満たされるようにと続きます。
もし、パウロが私たちのために祈っていたと考えたら、いかがでしょうか。私たちの「内なる人」はどんな状態にあるでしょうか。また、私たちはキリストの愛がどれほどのものかを理解しているでしょうか。そして、私たちは満たされているでしょうか。
仮に、そのすべてにおいて否定的な回答があるとするならば、なぜパウロがそのことを熱心に祈ったのかがわかるでしょう。そうです。ここで彼が祈っている内容は、私たちの日々の歩みにおいて欠かすことのできないものだからです。
私たちの想像をはるかに超える神の素晴らしいみわざが今ここにあると。信じることができるでしょうか。