宣教
5月22日「弱さが強さ」
士師記3:12~30
かつてイスラエルは罪を犯し、モアブの王エグロンをはじめとする同盟軍に破れ、18年間の支配を受けることとなりました。圧政の中、人々は再び神の助けを真剣に求める民へと変えられていったのです。
助けに応えて神が与えた救助者は、ベニヤミン族のエフドでした。彼は左利きでした。
ベニヤミンというのは「右手の子」という意味で、古代イスラエルでは神の右の座、右の手、といったように、力や強さを象徴とするのは右側でした。しかし、神が選ばれた救助者は「右手の子」ではなく、左利きのエフドだったのです。当時の社会的状況を鑑みるに、エフドは生きづらさを覚えていたのではないでしょうか。右手が大事とされる文化の中で左利きとして生きることは、日常的な差別や自らの出自への呪いとの共存だったのではないでしょうか。彼にとって、左利きは特別な長所ではなく、単なる弱さであり、短所だったに違いありません。しかし、主はその弱さを通して栄光を現されました。勝利は右側だけに与えられた特権ではないのです。
神はあなたを最高傑作として創造されました。でも、短所がある、そう思っていませんか。それは、その弱さに神が働かれる余地がある証拠なのです。