宣教

6月26日「サーヴァント・リーダー」

マルコ10:35~45
 勝ち組、負け組という言葉があります。その言葉自体が、この世界の歪みを言い表していると思います。人より良い暮らしをするのが勝ち組で、そうでなかった人々はみな負け組なのでしょうか。では、主イエスほど負け組に該当するお方はいらっしゃるでしょうか。それでも、主はおっしゃいました。「私はすでに世に勝利している。」
 主は果たして何に勝利されたのでしょうか。私たちが勝利者である実感が無いとすれば、人の考える勝利と、主の勝利とどこかが違うのでしょうか。あなたにとって、勝利とは何でしょう。
 ヤコブとヨハネは、主の側近としての場を求めました。その場所には名声もあり、豊かさもあると考えたかもしれません。しかし、主はおっしゃいました。「あなたがたは、自分が何を願っているか分かっていない。」
 主はすべての弟子を集めて、偉い人とはどういう人か、そして仕えるとはどういうことなのかを教えられました。そして、ご自身について「仕えられるためではなく仕えるために」命を献げるために来たのだとおっしゃいました。
 仕えること、その生涯こそ、主にとっての勝利だったのです。