宣教
10月16日「神により頼む」
雅歌 8:5~7
荒野とは、道もなく、植物も育まれない死の世界です。そこでは、明日のために素晴らしい計画を立てたとしても、明日が訪れる保証はありません。しかし、私たちに明日は見えなくとも、明日が見えているお方に寄りかかるとき、心に平安が満ち溢れてきます。主イエスは明日の心配は無用だとおっしゃいました。(マタイ6:34)荒野の人生は荒廃への道ですが、主イエスに寄り頼む人生は、天国が約束された人生です。魂を入れる土の器が壊れて、肉体を脱ぐ時が来ても、魂は永遠に残るものです。魂の行く先は肉体の行く末よりも大切なのです。
しかし、年老いて、あるいは力を失って、寄りかかる力すらなくなる日が来るかもしれません。しかし大丈夫です。神は言います。「わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」
私たちは弱い存在です。荒野から上ってくるのは誰ですか?それは私たちです。主イエスが寄りかかる私たちを背負いながら、苦難を乗り越えてくださるのです。あの十字架を背負われたように。