156センチの視線
5月21日「コロナで失ったもの」
昨日、娘と息子の運動会が行われました。運動会となれば、だいたい日曜日が多く、ほとんどの牧師先生は観戦できなかったとおっしゃっています。しかし、今回は土曜日の開催だったのです。
弘前に来て10年。娘も息子もあっという間に幼稚園、小学校、そして今度は中学校へと向かっています。これから10年経つと、娘は成人です!
これまで、主なる神と教会の方々に育てられ、養われて今があります。愛もなく、忍耐力もなく、謙遜さもなく、能力のない私にできるのは、ひたすらに主イエスを通して現された神の国の福音を宣べ伝えていくだけです。そのためには、聖霊の助けと一致した教会の背後の祈りが何よりも必要です。
宣教のためだったら。それがキリストの体である西教会の特徴でした。コロナの影響が大きく現れたのはその重要な部分だったのだと、私自身を振り返っています。
宣教のために出ていくことができなかった期間を経て、そのことを失ったときに受ける損失がいかに大きいのかを経験しました。すでに今年は秋田へ、沖縄へ、大阪へ、と声がかかっています。
出かけていって、という主の命令に戻るときが来ました。 牛山