宣教

7月30日「平安が欲しいなら」

 マタイ6:33~34
 偉大なクリスチャンの先人たちの物語は、私たちの心を燃やし、信仰を増し加えてくれます。彼らはなぜ、偉大なのでしょうか。能力があったのでしょうか、最初から備えられた大きな働きを引き継いだのでしょうか、いいえ、彼らは使徒たちと同じように、普通の人でした。しかし、彼らを偉大たらしめ、普通じゃなかったのは、彼らが神に全幅の信頼を寄せていた、ということだけです。
 何よりもまず、神の国と神の義を求めることは、この世界の価値観に慣れきった私たちには理解不能であったり、難しかったりします。しかし、加えて与えられる、という神の法則が私たちに勇気と希望を与えてくれます。
 過去から学び、予測を立て、自力で努力することは素晴らしいことですが、想定の範囲内の結果か、少しだけ良い結果が与えられるくらいが関の山でしょう。しかし、神が加えてくださるのは、私たちの常識を軽々と超えていく神の国の扉が解放される体験です。
 信仰の成長とは、祈りが熱くなることでも、人一倍奉仕をすることでも、献金額を増やすことでもありません。それは、すべてを主に委ねる、という成長の結果として与えられるものなのです。