宣教

4月21日「ただ主の栄光のために」

フィリピ1:12~21
 使徒パウロは、先々で迫害され、やがて牢獄に囚われました。そこで彼が各地の教会に伝えたのは、「喜び」でした。ですから、この手紙は「喜びの手紙」と呼ばれているのです。
 しかし、牢に囚われ、自由が効かない身は、本当に喜ぶべきものだったのでしょうか。牢に囚われず、自由に宣教できる方が良いに決まっている。それが私たちの常識であり、経験則であり、願望でしょう。もちろん、パウロも人間ですから、少しはそんな事を考えたに違いありません。しかし、彼は見たのです。人間が考えうる最良の常識や経験則が打ち破られ、主の栄光が燦然と輝く事実を。
 2000年にわたる教会史を紐解けば、創立50年の教会で起きたことと同じような事例があるはずです。きっと、良いことばかりが起こってハッピーだった、などと遺されている史実は皆無だと思います。しかし、そうした中でこそ、人間の力ではなく、かえって神の栄光が現されることとなり、誰一人として否定できない、神の超自然的なみわざと奇蹟、何よりも人の新生が起こってきたはずです。
 今、教会には、そしてあなたには、どんなことが起こっていますか。それは、どれほど難しいものでしょう。人間には解決が困難に思えるような事態であれば、喜びましょう。そこに主が働かれるからです。