156センチの視線

4月28日「仕える道へ」

 過去2000年の教会の歴史を見てみると、大きな大聖堂を建てた、誰が教皇になった、どんな会議をして教義が確立した、といったことよりも、むしろどんな人々に、どのように仕えていったのか、が重要なこととして遺されているように思います。
 先日、サムエル、ダビデ保育園の創立110周年がお祝いされたようです。津軽に大飢饉が起こり、未来を担う大切な子どもたちに食べさせるものがない。そんな人々の叫びに仕えていったのも、やはり教会でした。
 女性の地位が今以上に低く、教育を受ける機会すらなかった時代に、弘前学院を興したのも、教会の青年たちでした。
 まだ教会が生まれたての時代、ローマ帝国で捨てられた赤子を育て、女性に職を与えようと奮起していた時から、教会の姿勢は変わることがありませんでした。「仕えること」それは、主なる神の御旨だからです。
 では今の時代、私たちにできることは何でしょうか。どんな人々の叫びに応え、どのように仕えていく道があるのでしょうか。
 そのことをずっと祈って考えています。そして与えられる事実の数々と、おぼろげに見えてきたビジョンは、もしかしたら、と思えるものへと変わりつつあります。
 新たな歩みに向けて、ビジョンを確信に変え、実現するために、主にお祈りください。