宣教

5月26日「神の思い」

箴言19:21
 新しい歩みが始まるこの季節ですが、人によって心持ちが大きく異なる時期と言えるでしょう。ある人にとっては思い通りになった清々しさとともに訪れる季節であり、またある人にとっては、思い通りにならなかった重苦しさとともに訪れるものでしょう。
 聖書は、数千年の時を超えて、様々な人の営みを経由してきた不思議な書物です。長い歴史の中で、多くの人々の人生に多大な影響を与え続けてきた聖書は、今もなお、時を超えて変わらない真理を伝えています。つまり、思い通りにならないことは、神の御旨(神の計画)だと。
 私自身を振り返ってみると、聖書に触れ、神と出会う前、思い通りにならないことで、何度も方向転換をするチャンスがありました。しかし、思い通りになるように突き進んだ結果として、与えられたものは答えのない空虚な人生でした。神を信じた今、思い通りにならないことは、もっと良いことを神が計画されていること、その計画こそ、私が私らしくいられる最善策だと分かったのです。
 そういう事を言うと、神は何でもご自身の思い通りになるように、私たちを動かしているように考えるかもしれません。でも、果たしてそうなのでしょうか。
 聖書が伝える歴史的事実、主イエスの十字架と復活を見れば、思い通りになることとは、どんなことなのかが分かるでしょう。