宣教
7月14日「神に不可能なこと」
列王下13:22~23 ローマ11:29~36 マリアに天使は、「神にはできないことは何一つない」(ルカ:1:37)とイエス様を身ごもることを告げます。「神に不可能なことはない」ことを聖書は語り続けています。私もその …続きを読む
7月7日「神が報いてくださる」
マタイ6:1~4 人に評価されること、これはとても気持ちの良いものです。主イエスは、町の至る所でそのように評価されている人たちを見かけられたのでしょう。「あの人はすごい人だ」という賞賛の声こそ、彼らが受けている報いだと …続きを読む
6月30日「見えないものを見る」
IIコリント4:16~18 聖書は重要なことを伝えるために、二つの事柄を比較することがあります。例えば、約束の地の情報を知ったヨシュアたちとその他の人たち。また、ゴリアテと戦う直前のサウルとダビデのように。 使徒パウ …続きを読む
6月23日「自己発見型バイブルスタディ」
ヨハネ4:7~15 主イエスは井戸に水を汲みに来たサマリアの女性に語りかけます。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至 …続きを読む
6月16日「神が見る本当のあなた」
ヨハネ7:37~39 聖書は人類の救いについて、神の計画が示された啓示の書です。その頂点は主イエスの十字架と復活と言えるでしょう。さらに、救いの恵みを知った今、聖書は救い以外にも何かしらの役割があるのでしょうか。もちろ …続きを読む
6月9日「何時でも、どこでも」
列王下5:14 ヨハネ9:1~12 生まれつき目の見えない人の前を通った時、弟子たちが、「この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですかそれとも両親ですか。」と主に尋ねました。2000年前も …続きを読む
6月2日「神の子どもとして」
マルコ10:13~16 主イエスは子どもを愛する。これは信仰者なら誰でも知っていることかもしれません。そして、誰しも自分の子ども時代を思い起こしたりするはずです。しかし、主が活動されていた時代、子どもとはどんな存在だっ …続きを読む
5月26日「神の思い」
箴言19:21 新しい歩みが始まるこの季節ですが、人によって心持ちが大きく異なる時期と言えるでしょう。ある人にとっては思い通りになった清々しさとともに訪れる季節であり、またある人にとっては、思い通りにならなかった重苦し …続きを読む
5月19日 ペンテコステ記念礼拝「呼び求める声」
ローマ10:13-17 主の名を呼び求める者は救われる。これは聖書が語る真実です。そして、呼び求めるためには誰かが呼び求める対象を教えていることが大前提です。 私たちも、先に呼び求めて救われた誰かから、主なる神、生け …続きを読む
5月12日「何時でも、どこでも」
詩編118:22~25 ローマ8:26~30 ジョン・ラスキンは、19世紀のイギリスを代表する評論家です。友人の一人の夫人が、非常に高価なハンカチを汚し、嘆いているのを見て、それを譲り受け、そのシミを用いて見事な美し …続きを読む
5月5日「何を見ていますか?」
IIコリント4:16~18 聖書には、特定の法則に従って描かれる文章が存在します。同じことを短い文の中で繰り返して重要性を強調したり、2つの事象を比較して、私たちの選択を正しく導くことなどです。今回は後者でしょう。 …続きを読む
4月28日「神の思い」
箴言19:21 新しい歩みが始まるこの季節ですが、人によって心持ちが大きく異なる時期と言えるでしょう。ある人にとっては思い通りになった清々しさとともに訪れる季節であり、またある人にとっては、思い通りにならなかった重苦し …続きを読む
4月21日「ただ主の栄光のために」
フィリピ1:12~21 使徒パウロは、先々で迫害され、やがて牢獄に囚われました。そこで彼が各地の教会に伝えたのは、「喜び」でした。ですから、この手紙は「喜びの手紙」と呼ばれているのです。 しかし、牢に囚われ、自由が効 …続きを読む
4月14日「あなたの隣人は誰?」
ルカ10:25~37 ヨハネ15:13 コイノニア教育センターは、ナイロビにあるスラム・キバガレ地区の子ども、青年への教育活動(職業訓練含む)の学校として2003年に始まりました。4歳児から小中高の14年間の一貫教育 …続きを読む
4月7日「キリストの体として」
詩編31:15(口語) Ⅰコリント12:27 「わたしの時は御手にあります」と、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」。加えて、「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万 …続きを読む
3月31日「約束を信じて」
ルカ23:50~24:12 主イエスの十字架は多くの人々の人生をつくり変えてきました。そして、これからも変え続けていくことでしょう。当時も、つくり変えられた人たちがいました。 主の敵対者として登場する律法学者や議員 …続きを読む
3月24日「主がお入用です」
マルコ11:1~11 主イエスは最大級の賛美をもってエルサレムに迎えられました。その姿は約束されていた王の王そのものでした。人々は信じていたものが実現した喜びに満ち溢れていたようです。その主を運んでいたのは、未だ荷物 …続きを読む
3月17日「神の見ていること」
ヨハネ9:1-3 身体に障害を抱えていたり、何か不幸な出来事が起こるとき、それは罪の現れであると信じられてきました。生まれつき目が見えない人を見た弟子たちは、彼もまた、自身の罪か、近親者の罪の影響を受けたのだろうと考 …続きを読む
3月10日「勝利への道」
申命記8:1~3 マタイ4:1~11 イエス様が公生涯の初め、荒れ野で40日40夜断食され、悪魔の誘惑に遭ったことはよく知られています。あの40日になぞらえて、わたしたちはこのレント(受難節)を守るのです。主に倣うこと …続きを読む
3月3日「心の奥に」
マタイ6:1~4 旧約聖書の時代から、ユダヤ人は施しをするのが当たり前になっていました。それは律法で定められていたからですが、律法とは主イエスご自身のこと。施しをするのはごく自然なことだったのです。 しかし、その素晴 …続きを読む