宣教
4月9日「不信と偽りのただ中に」
イザヤ53:5 マルコ10:32
イエス様はご自分の死に場所を、美しいガリラヤ湖でも少年時代を過ごしたナザレでも、マルタとマリアのいるベタニアでもなく、エルサレムを選ばれました。そこは主都、聖なる都、政治と文化の中心地であったからでもありません。「預言者たち、遣わされた者たちを石で打ち殺す」罪と反逆の都であったからです。
イエス様は、共にいる弟子たちが「驚き恐れる」ほどの勢いで先頭に立って突進して行かれました。この罪の都で十字架の死を遂げるということは、考えの及ばない悲劇です。しかし、これこそが神の御意志であり、全き救いの御計画でした。主はこのことを3度までも弟子たちに予告しました。しかし、彼らの思いは、世の時へと向かっていました。
エルサレム入城をもって受難週は始まります。民衆の歓呼と喜びの声「ホサナ」は、数日後には「十字架につけろ」の声にとって代わります。「神の国」は、力ではなく、並ぶべきもののない、神の愛、「十字架のキリスト」によりもたらされます。「神の国」はその「十字架」を担うわたしたちに託されました。過ぎ越しの祭りのただ中に!「天地分け組み合わされし二本の木 愛と赦しの命となりぬ」