宣教

6月25日「心を注ぐべき方、神」

イザヤ25:7−10 フィリピ4:13
 聖書は神との関係が正常であるときと、そうでないときを比較して書く場合が多く見受けられます。そして、神の創造のはじめ、アダムとエバはエデンの園にいました。そこは「幸せ」という名前にふさわしく、素晴らしい場所でした。そこには神が人間に与えたすべてのものがありました。しかし、たった一つだけ、そこにないものがありました。それが罪です。
 原初以来、神とサタンの間で人間の争奪戦が繰り広げられている、という聖書の理解があるように、私たちの前には、罪由来のものと、神由来のものとが置かれている現実が横たわっています。罪由来のものは、人を神から引き離すことを目的としています。そして、恐れの中に住まわせ、力を奪い去っていきます。しかし、神由来のものは、人が神とともに天国に住むことを目的としています。そして、平安の中に住まわせ、力を与えていくのです。
 神は与える神であり、約束された未来を保証される方です。その方の約束に心を注ぐ時、希望が湧き出します。この希望は、救い主となって実現しました。
 今日、あなたにも救い主がやってくる、そう信じれば主はそこにおられます。