156センチの視線
4月8日「聖書の写経」
日曜日と水曜日の説教の準備は、祝福の時であると同時に、産みの苦しみの時です。自分の知識の貧しさに加え、霊性の低さを嫌というほど思い知らされます。為し得ないことを、神の言を取次ぐという不可能と無謀にも挑むのですから。
御言葉の選定、に始まり、三回の説教原稿推敲の過程は喜びというより重苦しさと、自らの足りなさと毎回向かい合う時となります。
そんな中で説教準備の時、御言葉をノートに、あるいは紙に書き写すことの豊かさを知りました。言うなれば「写経」の豊かさです。不思議に御言葉の方から語りかけてくる恵みを味わうことができます。先週の祈祷礼拝の準備の時もそうでした。
「だれの罪でも、あなたが赦せば、その罪は許される。だれの罪でも、あなたが赦さなければ、赦されないままで残る」(ヨハネ20:23)を書き写している間に長い間のモヤモヤした思いが氷解しました。「そうだったんだ!」。
すでに赦しておられる主です。赦していないのは「わたし」なのです。赦さないことによって、罪のもとに縛り付けられている「わたし」がそこにいることになる発見…。聖書の写経やってみませんか!思わぬ新しい発見があります。まずは、自分の大好きな御言葉を書いてみることから!