156センチの視線

2018-11-11
11月11日「一色でない人生の豊かさ」

7日(水)は、24節気の「立冬」!とうとう、この年もここまで来てしまいました。あなたこの言葉を聞いて、どんな感情を引き出されますか?「寂しさ」でしょうか?「来るべき寒さ?」「残り少なくなったこの年?」「「後悔?」「ウインタースポーツ?」「こたつ?」「クリスマス?」…何でしょうか?「たった一つの言葉」がわたしたちの心を弄(弄ぶ)ように幾重にも折り重なります。
 大変で、気が重く、それでいて懐かしく、温かで、遊び心をくすぐり、静かに優しい讃美歌が…。ひとつの出来事が、一つでくくれない豊かさをもっていることに気付きます。
 白鳥やカモが早くも津軽を訪れてくるのを見ると、毎年、同じように不思議な思いがこみ上げてきます。金子みすゞの「みんな違ってみんないい」の詩を思い出します。
 出会いを通して、自分の正義の薄っぺらさと、包容力の無さとに出会い続けています。一色で無い冬を通し、一色でない人生を想い見ています。
「それっておかしい!」と思うことのおかしさに、少しだけ気づき、アドヴェントを迎える準備をしています。「すべての人を照らすまことの光があって世に来た」ことの豊かさと、しっかり出会えることを祈りつつ、冬に備えたいと祈っています。

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2018-10-27
10月28日「御言葉の実践」

 火曜日のコンサートは、本当に素晴らしいものでした。選びぬかれた音響機材とその技術、そしてプロ中のプロであるピアニストのサポート。息子さんとの息の合ったステージ。三上勝久さんは、そのすべてを惜しみなく披露してくださり、しかも「受けるよりも与えるほうが幸い」という主の教えに100%従って、謝礼や交通費などの実費を受け取りませんでした。それは、三上さんがそのように実践しようと決めてから、御言葉の確かさに触れ、さらに主との関係が深まったからだろうと思います。
 主の弟子たちは、御言葉に従う前、つまり十字架が自分のものとなる前は、自己中心的な人々でした。しかし、彼らの傷が十字架の血潮によって清められ、罪赦された喜びと復活の立会人として、世界に出ていきました。
 それぞれの人生に傷はつきもの。しかし、その傷が癒やされたとき、癒やし主に対する感謝と人々に対する愛が自然と芽生えてくるんでしょうね。三上さんご自身も大きな病を体験し、信仰を失うほどの涙の谷を通されたのです。しかし、そこで再び主に出会い、傷癒やされて、御言葉を実践する道を邁進するようになったのでしょう。それが、曲の一つ一つと、その歩みに確かに現れていました。

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2018-10-14
10月14日「無数の恵みと感謝」

朝の祈りの時間は、10年以上も一つのスタイルを保っています。前日の感謝を思い出せる分書きだします。次に、小さな「歳時記」に目を通し、一年の中のこの日の位置を確認し、神様の与えてくれた「この日」を心に留めます。その日の御言葉、「ローズンゲン」を日記に書き写し復唱します。続き、ここ数年は、バークレーの『信頼に生きる』を読み返し抜き書き、続いて、「今」はボンヘッファーの『主のよき力に守られて』他数冊を読み…黙想、という日々です。この朝の1時間がわたしの一日の始まりです。が、それに先立ち、―義塾に行く火曜日と、石澤医院とオリーブコートの礼拝の土曜日を除いては、サラの散歩をしながら、皆への感謝と祝福の「お祈り」の時間です―。この間に「テレビ体操」も毎日継続(これはお勧め!)。
 最近、これに、『1日1ページ読むだけで身につく世界の教養365』が加わりました。何しろ「歴史、文学、視覚芸術、科学、音楽、哲学、宗教」が網羅され、絶対的教養不足のわたしには小さくもよき学びとなります。「知らない多くのことに囲まれ、支えられている」無数の恵みを知る機会となります。無知なる自分との新たな出会いに心痛み、愕然としつつも、学びと謙遜の祝福も与えられ感謝しています。葡萄も終わりました。感謝!

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2018-09-23
9月23日「祈りは聞かれる」

 娘が車の中で言いました。「早く冬にならないかなぁ。」急に何を言い出すのかと思っていると、「雪遊びがしたいんだよ。」と続けました。「でも…たっちゃんがいないから寂しい。」
 幼馴染と毎年冬を楽しんできた娘が、今年はその子がいないことを残念に思っていたのです。何とかしてあげたい。でも、その子を連れ戻すことはできません。また、もし他の子どもたちが教会に増えたとしても、彼の代わりにはならないのです。娘の寂しさをどうやって励ませばいいのか、わかりませんでした。
 家に帰ると、最近洗礼を受けた明星幼稚園のママ友と一緒に食事に出かけていた妻が帰ってきて言いました。「毎週金曜日に、はなはちゃんが遊びに来ることになったんだよ!」それを聞いた娘は、キョトンとして、信じられないような様子でしたが、段々と笑顔になってきました。さっきまで寂しがっていた娘に与えられた主からのプレゼントです。主は本当に素晴らしい方です。遊びに来るその理由は、洗礼を希望しているはなはちゃんが、すでに洗礼を受けたうちの娘と一緒に主のことを学んでほしいというママ友の願いからでした。
 主は幼子の祈りを聞いてくださる。忘れかけていた、そんな当たり前のことに出会えた日でした。

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2018-09-09
9月9日「朋あり遠方より来る 亦楽しからずや」

8月29日に続き、先週の日曜日(2日)、礼拝に来た皆を送った後、特に予定もなく、久しぶりにゆったりとしてソファーに座り、あれこれ思いめぐらしていた時、突然サラ激しく吠えました。いつもの事なので2階の窓から下を見てみると2人の婦人がニコニコそれは嬉しそうに玄関に向かっています。誰なのか判別がつかないまま玄関に。それは素敵な笑顔で、「ごぶさたしています!」旧姓、葛西美穂子さんと岩部おりえさんでした。
ぐるりと教会を見た後、二階の牧師館に。2時から7時まで。高校時代から今日までの話に花が咲きました。弘前西伝道所を開設して間もなく、聖愛高校に伝道に出かけ、1年生の1クラス全員が教会に出席するという快挙が!その中心的な二人でした。今年で60歳になるとのこと、佐藤洋治さんと1学年違いです。時空が飛びました。
ちっとも変わらない二人と話しながら、「主よ、今一度伝道の力を!」と心の中で祈りました。44年の月日の中に、主の憐みを噛みしめつつ。あの高校1年生が定年を迎えると聞き、当たり前のことながら驚きました。「朋あり遠方より来る 亦楽しからずや」以上の神様の御計画を考える時が与えられ感謝しました。妻が用意してくれた夕食を共に感謝の祈りをもっていただき感謝に溢れ…。

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2018-08-12
8月12日「全ての時が恵みの時」

娘の新子(牛山)から素敵な本をプレゼントされました。西教会に行ったとき、牛山牧師の机に乗っていた、『霊的成熟を目指して』(関真士 ホノルルキリスト教会牧師)という本です。
 早速手に取り読み始めてすぐ、「わたしのために用意された本だ!」と感じました。「持つべきは愛する娘!」です。実にタイムリーな、神様からのプレゼント、ご褒美と感謝しました。
 今、向かい合っている、「自分と宣教の課題」を見事なまでに取り上げています。それも、平易にして深く、分かり易く、格調高く、最近では余りお目にかかったことの無いユニークなものです。
座右の書として、身につくまで、何度も読み返していきたいと思っています。苦しい作業ですが、御言葉を反芻しつつお付き合いするつもりです。「良薬は口に苦し」ですが、一方、爽やかさも兼ね備えているのが何とも魅力です。
 「恵伝乃園」に、今は薔薇が咲いてはいませんが、見事な向日葵が咲いています。間もなく芙蓉も。キウリは毎日たくさん。ミニトマト、インゲンも毎日食卓に。昼咲き月見草も、グランドカバーのカスミソウも…。毎朝、朝顔が小さな花をたくさんつけて「おはよう」と言ってくれます。全てに、「時」のあることを知る恵みの中です。

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2018-07-08
7月8日「神の家族ーキリストの一つなる体」

先週の7月1日の礼拝は、喜びが浪岡教会に満ち溢れました。待ちに待った武田晶子さんのバプテスマが執り行われました。お祝いのために、5年間祈り続けてきてくれた神の家族、弘前西教会は、「ジョイフル」メンバーを含め、10人を祝福の賛美をするために送り出してくれました。
 「見よ、兄弟が共に座っている。何という恵み、何という喜び。」(詩編133:1 賛162)が心の底から湧き上がってきました。教会は「神の家族」である確かな出来事が実現しました。「浪岡教会と共に生きよう」と決断した弘前西教会の祈りが今一つの実を結び、祝福が覆う賛美と感謝、恵みの時となりました。
 すべての教会、その群れは各個、個人で完結するものではありません。一つなるキリストの教会である祈りによって建て上げられるのです。
 浪岡教会と共に生きることを選択した弘前西教会は、神の恵みを証するために選ばれた群れとして、感謝する恵みの時となりました。
 キリストの教会は本来一つです。原点は「キリストの一つなる体」です。「コーチング」-七つの本質-の歩みは、この具体的展開でもあります。「教会はキリストの体」何と素晴らしい真理でしょう。一つなる教会の出航のドラが響いています。

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2018-06-15
6月10日「入社式?」

 金曜日、東奥義塾では宗教主事の阿部義也先生が手製のカレーを振る舞ってくれました。これはルーも独自のエスニックな一品です。オルガン奏者の水木先生もいらして、東奥聖社に新しく入社(入部とは言わないのです!)した方々を歓迎する意味もありました。
 今年はなんと6名の入社がありました。年によって数は違いますが、今年はとても多いと阿部先生も喜んでおられました。その中には、かつて東奥聖社にいた方々の妹、弟が3名もいるのです。東奥聖社の伝統が受け継がれていることを感じます。そして、その方々はやはり、兄、姉とは全く違う人種じゃないかと思うくらい違うのです!個性とは本当に素晴らしいものだと感じています。
 毎週、金曜日に集まる機会を設けてくださっている阿部先生にも感謝です。また、7月に小樽からイッピー(子どもたちのゴスペルグループ)が来ますが、その時に東奥聖社の方々もいらっしゃるそうです。今からワクワクします。同じ世代の方々が交流を深めることで、素晴らしいことが起こるのではないかと期待しています。今は離れていても連絡を取り合える時代です。チームとして成長していってくれたら、と祈り願う日々です。

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2018-06-03
6月4日「御手の中で、讃美と感謝が満ち溢れ」

「御手の中で~(^^♪~ の日々」でした。祈っていた一つ一つが、神様のプレゼントとして与えられ、賛美と感謝の中での歩みでした。
 いのちの電話連盟総会に出席して驚きました。25年前総会に参加した時、理事長として出席していた多くの方がいないことです。「時」を感じました。が、新たに熱心に関わっておられる方々が起こされていることに敬意と感動を覚えました。
 総会が終わり、毎年、この機会にお会いする方々と、豊かな交わりの時を二日にわたり与えられました。その中でも、親友であった馬場哲夫兄の奥さんのフミさん、弘前西教会設立を共に担ってくれた田代優子さんとの交わりは、今日までの主の備えと今一度出合う喜びが溢れる時となりました。
 27日(日)、会堂建築を祈っている境南教会での宣教奉仕は、感謝と喜びの時でした。若さ溢れる貴田直樹牧師、深澤教会で信仰を共にした大楽さんと教会の方々、賛美奉仕のヨーコ・トリヤベさん…。教会が喜びで満ちました。一つなる神の家族の恵みを分かち合うことができました。
 帰って来ると教会の庭に薔薇の花が咲き始め、花壇も畑もそれは嬉しそうに輝いていました。水曜日の祈祷礼拝は武田晶子さんも加わり7名で守ることができました。新しい時が始まりました。

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2018-05-06
5月6日「今この時を、愛に生きる」

5月に入りました。早いもので1年の三分の一が過ぎました。時の速さにめまいさえ覚えます。今年は5月5日が「立夏」です。今この時を大切に…、「焦るな 怒るな 威張るな 腐るな 負けるな」の「あおいくま」を生きること。すなわち「愛に生きる」ことと思いを定める途上にある日々です。わたし流の解釈では、「受けるより与えるほうが幸いである」(使徒20:35)となります。いま、この年まで生かされ、十分に挑戦しがいのある、日々を手にしました。。
 体の不調で手つかずにいた畑に、やっと消石灰を入れ耕しました。便秘が解消したような解放感を覚えました。畑の作業の入り口にやっとたどり着きました。あとは畝を造り植えるだけです。昨年と同じ場所に同じ作物を植えないように輪作を考えていると、連休でお泊りに来ている「かえな」が、「おじじ、去年はここになすが、トマトが…」と、ニコニコ教えてくれました。固くなった土の塊を砕いて畝づくりの手伝いも!最高の休日!
 翌日、目が覚めると、体中がどこもが軋み、痛くて疼き動くことができなくなっていました。
 「明日世界が砕け散ろうとも、わたしはリンゴの木を植え続ける」(ルター)を思い出し、霊肉ともなる日毎の養いの大切さを思い祈らされました。

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2018-04-08
4月8日「聖書の写経」

日曜日と水曜日の説教の準備は、祝福の時であると同時に、産みの苦しみの時です。自分の知識の貧しさに加え、霊性の低さを嫌というほど思い知らされます。為し得ないことを、神の言を取次ぐという不可能と無謀にも挑むのですから。
 御言葉の選定、に始まり、三回の説教原稿推敲の過程は喜びというより重苦しさと、自らの足りなさと毎回向かい合う時となります。
 そんな中で説教準備の時、御言葉をノートに、あるいは紙に書き写すことの豊かさを知りました。言うなれば「写経」の豊かさです。不思議に御言葉の方から語りかけてくる恵みを味わうことができます。先週の祈祷礼拝の準備の時もそうでした。
 「だれの罪でも、あなたが赦せば、その罪は許される。だれの罪でも、あなたが赦さなければ、赦されないままで残る」(ヨハネ20:23)を書き写している間に長い間のモヤモヤした思いが氷解しました。「そうだったんだ!」。
 すでに赦しておられる主です。赦していないのは「わたし」なのです。赦さないことによって、罪のもとに縛り付けられている「わたし」がそこにいることになる発見…。聖書の写経やってみませんか!思わぬ新しい発見があります。まずは、自分の大好きな御言葉を書いてみることから!

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2018-04-01
4月1日「新しいことがこの地に」

 東京ホープチャペルでもたれた「癒やしのワークショップ」へ私たちの教会から派遣された祈りの宣教師(そう呼ばせていただきたいです)の皆さんがお帰りになりました。まず、その方々の顔を見た時、主が素晴らしいものを見せてくださったのだとすぐに分かりました。なぜなら、顔は喜びで輝き、うちから命の水があふれるように、周囲を満たしていたからです。
 これまで、他所でもたれるセミナーや研修は牧師や一部の献身者が参加し、他の方々は帰ってきた一人、二人の意見、報告を聞くにとどまっていました。もちろん、これも素晴らしいことですが、参加した本人にしかわからない恵みがあるものです。今回、数名の方が参加したことは、多面的に恵みを捉え、ユニークな神の計画に参加するために欠かせない、主からのプレゼントだったと思っています。これは単なる研修旅行ではなく、宣教旅行と何ら変わらないと思います。
 私の海外宣教と同じように、主が与えてくださる素晴らしい出会いと、驚きと、霊の満たしがあるのです。牧師をはじめとした多くの方々が、みな外に出ていって恵みに満たされると、どんなに凄いことが起こるでしょうか?「私の愛する使徒たちの時代と同じことが起こる」そう主がおっしゃっているような気がします。

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2018-03-31
3月25日「癒やし手の条件」

 津田キリスト教会の女性からメールがきました。東京で開かれた癒やしのワークショップで「弘前の方々にお会いしました」ということでした。その方も、癒しの祈りを通して解放された経験をお持ちでした。そして、自分の経験を証ししたいという祈りをもっていたところ、東京でスタッフとして手伝って欲しいという召しがあったのです。
 その方は神学校で特別な訓練を受けたわけでもなく、聖書の知識が学者のようにあるわけでもなく、ただ神を信じ、人々を愛する思いを与えられ、癒しの祈りを通して解放されたことで、そのことを人にもしたいと、「与える」奉仕に導かれました。それは、彼女の思いと主の計画が一致した瞬間であり、それこそ主が望むことであって、人々が解放され、弟子になっていく姿そのものでした。
 弟子になるというのは、やりたくないことを我慢してやることのように考えていた時期がありました。しかし、主はその人に個性を与え、その人の思いを超えて豊かに叶えることを通して、弟子になる喜びを教えてくれるのだと示されています。祈りの人は祈りの人に、伝道の人は伝道の人に、教師は教師に、しかしそのすべては人々の解放に向けられているのです。
 今、癒やしと解放が弘前に満ちていきます。

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2018-03-31
3月18日「主が前を行かれる」

 岡本さんご一家の送別会を前に、教会での出来事や家族の写真を眺めていました。特に、子どもたちの写真に目が止まりました。はじめて歩いたときの感動、はじめて言葉を発したときの興奮、会話が成立したときの喜び。子を育てながら、私たち罪人を子としてくださる父なる神の大きく深い愛を思い知っていく日々でした。
 教会の方々や、私たち夫婦はもちろんのこと、一緒に育ってきた私たちの子どもたちにとっても、岡本さんご夫妻、立人くん、築人くんの存在は大きく、教会以外の場所で会う時、とても嬉しく、そして心強く感じました。「こんなに素晴らしい方々と一緒に、神を信じる家族として一緒に歩めるなんて」と日頃から思っていたものです。
 これからも、岡本さんご一家は、それぞれが神のことばに生き、出会う人々を解放し、教会の家族を励まし続けていくのだろうと思います。私たちがそうだったように、次に出会う方々は幸せだな、と羨ましく思うとともに、その幸せを私たちだけのものとして独占しないようにとの神の声が聞こえてくるようです。
 大きな喪失感があります。しかし、主が前を行かれます。主の示される新しい季節へ旅立たれる、岡本さんご一家の祝福を祈ります。

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2018-03-11
3月11日「焦るな」「怒るな」「威張るな」「腐るな」「負けるな」

「休む以外に為すことなし」「休むことを一番の仕事とする」ことを余儀なくされての1ヵ月半、とても大切なことを学んだように思います。そればかりか、痛みと病気で断念していた「癒しのセミナー」に、場所が香川から東京に変わりましたが、受講できることになりました。「神のなさることは皆、時にかなって美しい」(伝道3:11)の御言葉を味わう祝福の時となりました。
「天が地を高く超えているように、(神様の思い)は、わたしたちの思いを超え、超えて高く超えて」(イザヤ55:9)います。そんな中、久しぶりに「あおいくま」を思い出しニヤリとしました。「焦るな」「怒るな」「威張るな」「腐るな」「負けるな」の頭文字です。「信ずる者は慌てることがない」(イザヤ28:16)のです。ひたすら「今、ここで」感謝することの大切さに目が開かれました。 「ないものではなく『ある』ものに感謝」することを。
華道家元池坊には「少なさは寂しいことでも貧相なことでもありません」との言い伝えがあるそうです。以前、横手で伝道巡回をしたとき、ある家庭の床の間の一輪のアイリスに心打たれたことを思い出しました。
どんな今にも溢れるばかりに注がれている神様
の愛の眼差しを想いつつ信じ探すこの頃です。

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2018-02-11
2月11日「聖霊の人=愛の人」

1月27日から1週間の予定で、牛山牧師と一緒に出席予定であった、香川県の津田キリスト教会で行われた研修会を、涙をもって断念しました。「痛風」(実はそうではないようです。MRIをも撮りましたが原因が特定できず)もどきの激痛が1カ月余たった今も襲ってきます。
 直前に、飛行機と宿泊の予約を取り消しました。残念でしたが、ここにも「御心がある」と信じることなくしては、「言っていることとやっていることとが違う」ことになります。懸命に祈り、最善を信じることにしました。28日の礼拝で出席者の送迎をお願いしていたY兄がインフルエンザにかかり欠席の連絡が入りました。せっかく宣教の奉仕にあたってくれるコルドウェル師を囲んでの礼拝ができなくなるところでした。感謝しました。
 「癒し」は長い間のわたしの宣教の課題でもありました。世界最大の教会の趙牧師のもとでの1週間の学びも…。そして今気づきました。「癒し」は愛と共感の想像力の内にのみ実現するということを。深い共感と想像力が伴う「聖霊の人=愛の人」となる必要を心に刻むことができました。更なる「感謝を生きる」歩みへと導かれました。
 1日、「500の感謝」にチャレンジしています。新しい時は新しくされた「自分」を通してです。

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2018-02-03
1月28日「万人祭司」

 29日(月)から香川県の津田キリスト教会でもたれる癒やしのセミナーに出席することは、シューミン・クォン先生という特別なスターにお会いすること以上に、初代教会の7つの本質の一つ「能力付与」を推し進めるためだと思っています。
 釜石で出会ったある青年は、ショッピングモールをなんともなしに歩いていると、若い男性から声をかけられ、「痛いところがありませんか?」と聞かれました。青年は腕の関節が痛かったので、言い当てられたことにびっくりしたことを伝えると、男性は「その痛みを癒す祈りをさせてもらってもいいですか?」といって手を握って祈ったのです。驚くべきことに、腕の痛みはすぐに癒され、彼は驚きをもって男性についていきました。そして、自分の話を真剣に聞いてくれて、自分を愛し、励まし、ともに歩んでくれる家族のような仲間と出会ったのです。彼はすぐに洗礼を受けて主の弟子としての歩みをはじめました。
 この聖書にありそうな話が、すぐそこにあるのです。しかも、癒しの祈りをした若い男性も、最近洗礼を受けたばかりの方で、癒しの祈りを学んだ他の人に教えてもらって、ただそれを実践しただけ。ごく普通の人です。
 主の「能力付与」が現実化します。お祈りください!

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2018-01-21
1月21日「未来を主に委ねる」

幼いときから音楽を聞くのが好きで、5歳年上の姉の影響を受けて、アメリカのビルボードをチェックし、早くから多種の音楽に触れる中、地元には本音で音楽の話ができる仲間はいないと悟り、人に合わせるのが当たり前だと思っていました。高校に入った初日、当時手に入れて、いつも聞いていたBrand New HeaviesのCDを机の上に置いておくと、それを見た生徒が声をかけてきました。美術部の部長候補で、現在はアートディレクターとして世界中で活躍する親友との出会いでした。
 優れた友人たちとの出会いを与えられ、高校生活は素晴らしいものでしたが、将来の明確なビジョンをもって道を決めていく彼らのように、私にはこれといってやりたいことも、得意なこともありませんでした。そして、友人たちに引け目を感じるようになり、自信がなくなり、人生に意味を見出だせなくなり、それが20代後半まで続きました。
 前を見ることは、イコール最悪の未来を描くことだったあの時、「みんなが言うように、本当に救い主なら、俺を救ってください!」と主の前に進み出てから、未来をこの復活の主に委ねられる平安を得たことは、当時の自分と今の自分との間にある、大きな違いでしょう。

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2018-01-14
1月14日「よき力に守られ、前進の力が!」

2018年が始まって、早くも半月が過ぎようとしています。変な言い方ですが、まだこの年に馴染めないでいます。緊張しっぱなしです。恥ずかしいことですが、座っていても横になっていても出てくるのは溜息ばかり。気を付けているのですがつい、妻に、「どうしたの?」と度々言われています。教会のこれからのことを考える時、自分の不十分さ、心の偏狭さ、愛の無さに気付く時、言動のお落差に気付く時、…傲慢の徴に他ならない落ち込みに振り回されます。
 7日の朝の祈りの時、「『ああ』というため息が不安な魂から発せられる。そして彼らの目が偉大な救い主を見上げる時、このため息は何よりも自分のための力強い祈りの力となる。」(D・ボンヘッファー)の言葉に出会い慰めを与えられました。
 傲慢にも、自分から神様に近づこうともがいていたのです。まったくその逆で、神様の方からわたしに近づいてこられ、ため息すら祝福に変えられる恵みを忘れてしまっていました。「えふりこぎ」から「出エジプト」の時を告げられました。
 そんな7日の礼拝に、教え子の工藤さんが見えられました。清野さんに続いて若い方が導かれ感謝が溢れました。「教会は信じる者の希望の群れ」(ニーバー)です。よき力に守られ、前進の力が!

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2017-12-10
12月10日「I am growing day by day」

先週の7日(木)は朝起きると、積もっては消えの雪が、しっかり積もっていました。また消えるかもしれませんが、「もう根雪になっても受け入れるしかない」の心境となり心も定まりました。
 24節気はこの日から「大雪」に入りました。あまりにぴったりでニヤリ、「やるな!」と。妻には「あまり早いと健康に良くないんだって」と5時半ごろからサラの散歩をするわたしに。どうも私の健康ではなくサラの健康を気遣って…?
 朝の祈りと御言葉の時、(途中でテレビ体操)を終えると8時近くになりますが、この日はまず、8時までの20分間この冬初めての除雪機を動かしました。一昨年の11月に移住して、3回目の除雪機使用です。ちょっと不安でしたが、思いの外スムーズに。食事の後も。合わせて1時間ほどの作業になりました。最初にしてはなかなか…!
 朝の1時間はちょっと痛いと思ってしまいますが、心を切り替えて、楽しく、上達できるように励みたいと思っています。
 「なんぼイッキモッキ(性急な性分)だの!」との母の声が今も、事ある毎に聞こえてきます。「これからだって成長できる」と自分に語りかけ、〝I am growing day by day”と言ってあげることにしました。クリスマスがやってきます!!

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