156センチの視線

2020-06-20
6月21日「主の恵みと憐れみ」

 愛する岩澤弘子さんが天に召されました。昨年の4月に病を宣告され、その後奇跡的に回復しましたが、この度、主に名を呼ばれていきました。
 昨年の11月2日、土曜日の朝に入院されている病院で洗礼を受けられました。それ以降、毎日のように祈り、主を賛美する日々を過ごしていたようです。
 また、石川牧師をはじめ、教会の方々が度々訪問され、とても喜んでおいでだったと伺っています。コロナウィルスの影響で病院を訪問できなくなり、私たちはもちろん、弘子さんがどれほど寂しかったことでしょうか。きっと、そんな中でも共にいてくださる主に寄り添われて、ますます信仰が熱くなっていたのではないかと推察します。
 弘子さんは、この地上の最後をしっかりと準備されました。礼拝堂には一度も足を踏み入れませんでしたが、教会の方々が訪問したときには、そこが教会となったことでしょう。弘子さんにとっては、病院が礼拝堂であり、教会だったのです。
 弘子さんは夫である紀雄さんの信仰と深い真実な祈りを導き、全てを委ねて帰られました。コロナウィルスの混乱の中で、帰天の礼拝ができることは、何という恵みでしょうか。主の深い憐れみと慰めを感じずにはいられません。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-06-20
6月14日「すべてが用いられ」

 イエス様の有名な言葉に、「空の鳥を見よ。野の花を見よ」があります。浪岡教会には、空の鳥と花がいっぱいです。毎朝の日課は、まず、二階の居間の南側-八甲田山側-の窓を開け、「恵伝乃園」を見て、今盛りの美しい薔薇や花々、畑に、囀る小鳥に「おはよう!」の挨拶から始まります。
 東に、浪岡城址とその向こう側に八甲田山、西には岩木山が。位置的には、弘前西教会と同じ(お城と岩木山)位置環境の中にあります。
 少々、夢見が悪くても寝不足でも、「恵伝乃園」と小鳥の声は、賛美と感謝を運んでくれます。セルフ・イメージの悪い私が、賛美と感謝を生きることが出来るようにと、神様が与えてくれた最高のプレゼントです。サラの散歩を終えて、6時前に礼拝堂のテーブルでの「ディボーション」を守る時も、美しい花々が目に入り慰められています。
 「ここも神の御国なれば(^^♪」の賛美歌が胸に湧いてきます。礼拝においでになる方、お尋ねくださる方には、ペットボトルの花瓶に好きな薔薇を差し上げます。義塾に、20周年を迎えた浪岡の「ふるさと教会」に、差し上げる先々での喜びの歓声に嬉しくなります。教会にある、いる(サラ、マルコ)すべてが、証のために用いられています。採って来るワラビさえも。ハレルヤ!

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-06-20
6月7日「眠らない主」

 今週から会堂に集まっての礼拝が再開します。これまでオンラインでの礼拝を継続してきましたが、それは集まることとは違った、また別の恵みが与えられる良い機会となりました。
 しかし、ネット環境がない方々やZoomの導入ができない方々は毎週会堂に集まって来られました。そして、口々におっしゃっていました。「やっぱり会堂がいい。」、「皆さんにお会いできて嬉しい。」など。
 教会の誕生を記念するペンテコステを祝うため、主が再び私たちを集めてくださいました。当たり前のように会い、励まし合っていたことが当たり前でないことを噛みしめる喜びの時です。
 私たちがステイホームをしている時、神の国の拡大はストップしていたかのようでした。各地から聞こえてくるのは、礼拝を中止せざるを得ない、教会の存続が心配、といった後退を連想させる声ばかりでした。
 しかし、ある先生がおっしゃいました。「コロナウィルスの影響でステイホームという言葉が定着したけど、信仰までステイしないようにしないとね。」
 先週は浪岡教会に新しい兄弟姉妹が加えられました。どんなときでも、主の歩みを止めることはできません。「見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。」(詩篇121:4)

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-05-31
5月31日「弱みが強み」

 先週の夜の祈祷会で、二人の方と共に、それぞれが神と出会った体験を分かち合いました。
 これまでの人生の中で、様々な体験を通して神はご自身を現しておられたのです。そのことに気づくことができたのは、単にその方々が霊的に優れていたからとか、誰よりも努力したからではないことが確認されました。一つ確かなのは、いずれの出会いも、自分の力ではどうにもならないような局面であったということだけです。
 その日、いつもの祈祷会とは全く違う内容になりました。私がロス・アンジェルスの信仰の友、牧子さんとの出会いを証ししたのをきっかけに、聖霊の導きに従ってお二人も証をしてくださったのです。聖霊がもたらす涙とともに、主は生きておられる、という感動で胸が一杯になりました。
 証というと、素晴らしい話ばかりがフォーカスされがちですが、こと私に限って言えば、キリストに従おうとして、従えなかった失敗談のほうが多いのが事実です。しかし、他の方々の真実な証を伺って、失敗した体験談の中にこそ、その弱さにこそ、真にキリストの姿が映し出されるような気がしました。
 弱さがあって良かった。そう思える時間でした。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-05-31
5月24日「弱さを自覚しつつ」

 先週の金曜日、9回目の結婚記念日を迎えました。何をしても中途半端で、長続きしない私にとって、これほど長く続いたものはありませんでした。
 「神の言葉から離れ、自立した人間になるんだ」という私の野望は、自らの挫折や堕落、弱さとともに崩れ去りました。大きな野望は、「ほんの少しでいいから、人並みの生活を」という程度の小さな望みに変えられていました。
 聖書を学ぶために同志社へ入ると、若い時から神を信じ、聖書に親しんできた人たちと出会いました。また、多くの人たちは自分よりも真剣に神を求めているようにも見えました。そこで、さらに弱くさせられました。
 結婚し、子どもができた後、聖書の御言葉に従えない自分と何度も出会いました。そこで自らの罪の深さを痛感して、また弱くさせられました。
 義塾、保護司、刑務所、講演会。与えられる場所で、自分の未熟さを知り、弱さを自覚しました。
 いつも至らなさの中で生かされてきた人生を振り返ってみると、弱さを受け入れた時にこそ、そこに神の栄光が示されたように思います。
 与えられたすべての恵み、愛する妻や子どもたちと家族、そして敬愛する神の家族に出会えたことを心から感謝します。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-05-20
5月17日「主に用いられる幸い」

 コロナウィルスの影響が残る義塾に行くと、すべての先生方や職員の方々、生徒全員がマスクを着用しています。新しい年度になり、生徒たちはクラス替えがありましたが、なかなか直接会う機会がなく、寂しかったのではないかと思います。なぜそう思うのかというと、私が生徒たちに会えないのが寂しいからです!
 廊下を歩いていると、昨年度に受け持ったクラスの生徒たちから声をかけられました。ある生徒は「またヒロロの集会に行きたい」と言い、また、ある生徒は私が帰ろうとする横をずっと付いてきて話をしてくれました。「こっちに用事があるの?」と聞くと「別にないけど、久しぶりに会ったから話しようと思って。」と言ってくれました。
 私の授業が素晴らしいからだと皆さんは思うかもしれません。しかし、授業中は寝ていたり、全く関係のない話をしていたり、大騒ぎをしていた生徒たちですから、分からないものです。
 どんな言葉が、行動が、主に用いられるか分かりません。ただ、主に行くように命じられたので、行っているに過ぎないのです。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-05-10
5月10日「こんな時だからこそ」

 家族で浪岡に宿泊してきました。ほとんど車が通らず、人通りもない場所ですから、子どもたちは外ではしゃいでいました。私たちも、外で食事をしたり、くつろいでいましたが、東京などの都市部に生活する人たちには、こんなことさえも難しい状況なのだと考えると複雑でした。
 オンラインで礼拝や交わりを継続できている教会と、礼拝自体が中止になっているところ。都市部と地方の違いのように、私たちにできることは何なのかを考える機会となっています。
 そんな中、ある教会が一人の若者を宣教地に派遣することになりました。それも、短期ではなく、何十年という長期に渡っての派遣です。さらに、派遣される地はキリスト教規制国です。昨今のコロナウィルスの影響もあるため、渡航に関しても主の奇跡的な導きが必要です。
 多くの困難が出発前から予想される状況の中で、その若者の瞳は希望に満ちて輝いていました。主の御言葉を伝えたい。守りに入らざるを得ない状況の中でさえも前進する、信仰の勇者の姿に励まされます。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-05-10
5月3日「当たり前だった非日常」

 先週、何人かの方々が牧師館を訪問してくださいました。お茶を飲みながら、楽しい時を過ごし、一緒に祈るときを持つことができました。直接会うことが難しくなる中で、このように個別にお会いできることが本当に感謝です。
 先に感染者の爆発的な増加があり、おのずと集まることができなくなった欧米諸国でもzoomなどを用いたオンラインでの会合が続いているようです。しかし、何ヶ月もオンラインのみで集まってきた方々の中には「zoom疲れ」という波が押し寄せているようです。
 オンラインで集まることができるのは、場所を取らず、お金もほとんどかからず、遠方でも参加できるなどのメリットがありますが、やはり見つめているのは画面であり、顔と顔を突き合わせたいつもの会話ではありません。何ヶ月も続く非日常的な交わり。そこに疲れを感じるのでしょう。
 当たり前のように集まり、共に主を賛美し、礼拝をささげてきた方々。それが回復される時、以前の当たり前は当たり前ではないことに気付かされることでしょう。その時のことを想像し、喜びで満ちています。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-05-10
4月26日「三位一体の密度」

 オンライン礼拝が始まりました。初回ということもあり、つながったか、つながらないか、音が出るか、出ないか、といった設定面での困難がありました。しかし、どのような形であれ、集まって共に御言葉に聞き、祈り、主に向かって賛美できたことを感謝します。
 東奥義塾や子どもたちの学校も大型連休を前に休校となります。外に出ることができない日々をどのように過ごそうかと考えています。そんな中、青森県内の教会のネットワークであるGospel Celebration Network(GCN)から、1日にみんなで祈るときを持ちませんか、とお誘いを受けました。また、平川市で英会話を開いて宣教しているペニー先生からzoomについて教えてほしいとの依頼があり、より良い礼拝や英会話教室のオンライン化について共に考えるときを持つことができました。
 こんな時だからこそ、いつも以上に密になりたい人たちがいます。西教会の方々、各地の教会の方々、そして友人や家族です。今はオンラインで会える時代。これが礼拝のためだけでなく、宣教のために用いられていくのだと感じています。
 3密を避けろと言われていますが、私たちは積極的に父、子、聖霊の神に3密に接していきたいものです。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-05-10
4月19日「歴史の転換点」

 いよいよ全国に向かって緊急事態宣言が発せられ、本州最北端ものんびりとしていられなくなりました。エンターテインメントや飲食業をはじめ、多くの方々の生活に影響が出ていることでしょう。
 各自治体によると、教会は休業要請の対象施設に該当しないようですが、各教会で判断し、会堂に集まっての礼拝を行わないと決めたところが増えてきているようです。私たちの教会もそうでしょう。
 かつて、外に出ると大変な状況に陥る時代がありました。初期キリスト教会の時代です。迫害という名の疫病が人々を狂わせ、キリスト者を見つけては捕まえたり、殺害することさえもしたのです。
 外に出たり、集まったりすることに困難を極めた時、信仰者がとった行動は、礼拝をやめることではありませんでした。かえって集まり、神を礼拝したのです。しかし、方法は変わっていきました。家の二階、地下墓地、押し入れの中、どこでも神の臨在を体験するにふさわしい場所でした。立派な神殿や礼拝所は彼らには無かったのです。むしろ、暗く、汚れた場所、人が見向きもしない場所で礼拝する時、彼らは飼い葉桶の主を思ったことでしょう。
 今、インターネットという名の新しい礼拝場所が与えられています。私たちは教会の歴史の転換点に生きているのかもしれません。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-04-16
4月12日「復活の朝に」

 今月から、月一回だった刑務所教誨が、月二回になりました。受け持ったことのないクラスに向かうとき、
はじめて刑務所でクラスを受け持った時の緊張感が蘇ってきました。
 部屋を開けてみると、7名の方がいらっしゃいました。とても明るい雰囲気の方々でしたが、お一人だけ口数の少ない方が部屋の隅に座っていました。自己紹介を兼ねて、私がどのようにキリストに出会ったか、モーセの召命と同様に、主の招きを受けたことを語りました。
 先ほどまで明るい雰囲気に包まれていたクラスが静まり返り、話し終えた私は「シラケてしまったかな」と不安になりました。
 すると、あの口数の少なかった方がこう言いました。「私はこれから教会に行って人生をやり直そうと決心しました。今伺った、モーセのように。」とおっしゃったのです。
 主は、何度も何度も過ちを繰り返し、どうにもならない私を救い、今、人生を悔いて、もう一度やり直したいと願う方に語りかけたのです。
 その方は言いました。「出所したら、住み慣れた故郷を離れます。また同じことをしないためです。」
 十字架を経過した復活の朝、見たこともない新しいことが芽吹いています。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-04-16
4月5日「主の備えの完全さ」

 本日、2020年4月5日は、弘前西教会創立46周年(1974年4月7日創立)の記念礼拝の日です。『40年誌』の編集後記で牛山牧師が、「石川先生は実家の二階で開拓伝道を始めた時、40年後を想像できたでしょうか」と書いています。本当にその通りです。そして、その2年後、皆さんの祈りに送られて、浪岡で新たなる伝道に取り組むことになろうとは、主のみの知るところでした。
 同じ『40周年誌』には、結婚以来47年間戦友であり続けてくれている妻の、『日々の必要が満たされて』があります。司式をしてくださった当時の奥羽教区議長笠原金吾先生が語った、『初めは、石川の教会と言われるでしょうが、キリストの教会と言われるように、キリストの体なる教会が建て上げられることを願っています。』の言葉が記され、今も心に刻んでいる言葉です。
 今日までの歩みは、多くの方々の祈りは勿論ですが、双方の両親に負うところの大きさに気付かされます。考えてみると、牛山牧師の歩みも同様です。主の備えの完全さを心が震えます。祈りの力の偉大さに新たに出会い御名を崇めます。
 「わたしの時はあなたの御手にあり」(詩編31:15口語)です。「今、ここに」在る主の御手を信じひたすら前進です。何という幸いでしょう。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-03-28
3月29日「本来の姿に」

 全世界でコロナウィルスの影響が拡がっています。自粛ムードが漂い、経済は大打撃を受け、人々は家の中にこもる生活を送るようになりました。店が閉店したり、企業が倒産するなど、ウィルスの病状だけにとどまらず、多くの方々が苦しんでおられます。
 神は世界を創造し、人に使命を与えました。「産めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ。」これは、すべて「いのち」のことを言っているのです。罪ゆえに、いちばん大切なことが何かを忘れてしまう時、この世界は神が意図された本来の姿を失っていきました。しかし今、全世界の人々が考えているのは、まず「いのち」のことでしょう。
 最近、二酸化炭素の排出量が激減しているようです。中国では大気汚染がかなり軽減されているようですし、また、汚れていた河川が綺麗になるなど、環境の浄化ともいうべき現象が世界の至るところで見られています。コロナウィルスの出現は、人類に対する脅威であることは間違いありませんが、主はそのことをさえ、活かそうとされているのではないかと考えさせられます。
 本当に大切なことは何か。それは神が創造された「いのち」以外にないということを、もう一度考えさせられる今日このごろです。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-03-25
3月22日「主に委ねられて」

 3月に予定されていたJCMNのサミットはコロナウィルスの影響で中止となりました。当初、22日の礼拝メッセージをどなたにお願いすればよいのかと祈り、いろいろな人に声をかけていましたが、町田勤さんが自ら名乗り出てくださいました。しかし、結果的に私は西教会の礼拝に出席し、町田さんを通して御言葉の養いを受けることが可能になりました。
 昨年も、佐藤洋治さんにメッセージをお願いしましたが、結局予定がキャンセルになり、西教会の礼拝で御言葉を受け取る機会が与えられました。語ることの多い牧師という立場上、御言葉の養いを他の方のメッセージから受ける機会が限られています。主は、そのような機会をこうして与えてくださって、私の霊的な成長を求めておられるのだと感じています。
 メッセージを語るためには、いろいろとしなければならないことがあります。決して難しいことではありませんが、その準備の中で必然的に主に祈り、御言葉を求め、背後の祈りを感じ、メッセージの最中は聖霊の臨在に触れられます。また、メッセージをしたことのある人は、人に語るのではなく、主に対する信仰告白であると感じるでしょう。この素晴らしい恵みを、「私は無理」と思っているあなたにも、ぜひ感じていただきたいのです。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-03-15
3月15日「ピンチをチャンスに」

 先週、岡山県の赤磐教会の額田先生と久しぶりに電話でお話しする機会が与えられました。現在、赤磐教会と、北海道の小樽聖十字教会を牧会している先生です。信徒の自立を励まし続け、双方が離れていても牧会ができることを目に見える形で証ししておられます。
 昨今のコロナ対策はどうしていますか、と尋ねると北海道では感染者が増加しているため、礼拝はお休みにして、それぞれの自宅で自己発見型のバイブルスタディをするように励ましたそうです。すると、家族であっても新しい発見があったり、そこに新しい方が加わったり、と盛り上がりを見せているようです。
 七つの本質の教会形成の中で、教会が適応可能な構造を模索していくことはとても大事なことでしょう。特に、否応なしに変化を求められる非常時には、そのことが一層進む契機となります。一見すると、礼拝がなくなると危機的なことと感じるかもしれませんが、それは決められた教会堂に集まって集会をする手段がたった一つ無くなっただけのことです。私たちが礼拝を継続するために選ぶことのできる選択肢は、その他に無数に残されています。
 どんな形で礼拝を継続しつつ、非常時に対処するか。教会のあり方、礼拝の意味を主から問われている気がします。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-03-07
3月8日「救いの啓蟄」

 少なかったとはいえ、見事に薔薇園と坪畑の雪が全く消えてしまいました。用心のために、除雪機は赤い覆いをかけて待機はしているものの、今年、初めてした「雪囲い」も外して、「恵伝乃園」の見晴らしが良くなりました。先週の水曜日、薔薇の木の枝折れを防ぐために縛っていた縄を、山内さんと一緒に取り外しました。そして、例年より一ヶ月近く早い春の光の中にいます。
 教会の道路側のコンクリートの塀の中に、例年より3週間ほど早く、蕗の薹が花を咲かせています。この5日(木曜日)は、24節気では「啓蟄」でした。ご存知のように、「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意味で、「冬ごもりの虫が這い出る」という意味となります。例年の津軽では早すぎる感の拭えないこの言葉が、初めて実感され、不思議な気持ちです。
 2月26日に「レント(受難節)」に入りました。今年のイースターは4月12日です。見えない中に春が始まっているように、神の救いの御計画が進められている今を想い、「わたしの時はあなたの御手にあります」(詩31:15口語訳)の御言葉を噛みしめています。レントは「救いの啓蟄」の言葉が浮かびました。主の備えの時を覚える祈りの時の中にいます。何という救い愛と救いの中に!

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-03-01
3月1日「混乱の中で」

 新型コロナ・ウィルスの影響で、各地のイベントなどが延期や中止を余儀なくされています。JCMNのサミットも、日本全国をはじめとして、香港や周辺国からの方々の参加も予定されていたため、延期となりました。また、公立学校の休校要請もあり、混迷を極めています。
 そんな中、日本キリスト教団総会議長と総幹事の署名付き「注意喚起」が届けられました。37℃以上の熱がある場合は礼拝出席を控えること、礼拝堂の入り口に消毒用アルコールなどを備えること、礼拝中のマスク着用、握手禁止、聖餐式の準備や配餐時の消毒の徹底、礼拝後の食事の中止もしくは30分以内にすること、その他の集会やイベントについての開催を見直すように、と記されていました。
 先日、電車の中で咳をした人がいたところ、緊急停止のボタンを押した人がいたようです。あの人も感染者かもしれない、というように他者と触れ合うことが躊躇されるような動きが広がっているようですが、これが差別や争いの加速とならないように願うばかりです。
 教会として、この現実をどのように考えていくべきか、主の導きを求めています。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-02-22
2月23日「愛に生きる」

 先週の月曜日、伯母が急に倒れ、そのまま召されました。かつて、共働きであった両親に代わって私や姉をいつも世話してくれていた方でもありました。
 結婚式には、遠くハワイまでいらしてくださり、私の子どもたちにも惜しみなくプレゼントを届け、つい先日、髪の毛の長くなった私を見て「かわいい!」と声をかけてくれる優しい方です。娘たちを聖公会の高校に入学させたり、私が牧師になったことを喜んでくれたり、とキリスト教にも深い理解を示してくれていた人でもありました。さらに、最高の美人でした!
 キリストに出会う以前から、私はこの伯父夫婦に人を愛することを教わってきました。この方々がいたからこそ、親戚関係は極めて良好で、祖父が亡くなった相続のときにも、皆が相続権を放棄して他の兄弟に譲ろうとするなど、自己犠牲の愛が形となって見える関係性でした。
 結局、キリストを信じること、洗礼を受けることはありませんでしたが、信じただけで愛のない私と比べて、何と愛に生きた人だったでしょうか。
 主はご自身を信じた結果として「互いに愛し合う」ことを教えられましたが、信じたと公言しつつも決して愛に生きない人と、ご自分をあまり知らなくても、身を削って愛に生きた人と、どちらを喜ばれるでしょうか。私は後者だと信じています。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-02-16
2月16日「祈りに支えられ」

 娘が8歳の誕生日を迎え、浪岡で誕生会をもちました。彼女の年齢がそのまま、私たち家族が弘前に来てからの年数となります。
 2018年の更生保護大会で、はじめて地域の方々を前にして、自分の救いの証しをしながら、保護司としての活動を通して与えられている恵みを分かち合いました。その後、中学校の生徒指導部会、社会福祉大会と、声をかけてくださる方々が与えられました。8年間の小さな働きが、ようやく地域のために用いられるようになったこと、心から感謝しています。
 私たちがこの地に根を下ろして主のために働けるのは、教会の方々の祈りと支えがあるからです。お一人おひとりの祈りである「一人でも多くの方に福音を届けたい」という熱意と信仰とが、主に用いられ、私のような欠けの多い者でさえも、神の国の拡大に貢献できるということが証になっています。
 また、子どもたちがこんなに良い子に育っているのも、教会の方々や、祈り支えて下さる方々あってのことだと思っています。昨年、主から受けた「家族を何よりも大事にするように」という御声を頼りに、できない自分と戦いながら、主に寄りすがって父親としての訓練を受けているところです。
 8年間ありがとうございました。8年前の若々しい皆様の写真を見ながら、感謝にふるえています。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed

2020-02-10
2月9日「地境を拡げて」

 毎朝のサラの散歩とテレビ体操を挟む、1時間の「ディボーション」-聖書と祈りの時を持っています。幾冊かの信仰日課の読書に加えて、以前、少し触れましたが、『一日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』を続けて読んでいます。
 日曜日:宗教(世界の主な宗教とその教義を概説)。 月曜日:歴史(西洋文明の発展に貢献した人々や出来事)。 火曜日:文学(偉大な作家の生涯と代表作、詩や小説等のあらすじ)。 水曜日:視覚芸術…。 木曜日:科学…。 金曜日:音楽…。 土曜日:哲学…。という具合です。
 正直言って、大変に難解です。すべてが十分に理解できないのはもとより、木曜日の「科学」は、特に、内容が理解できません。ゆっくり読めばいいのですが余裕がありません。読むだけです。
 「分らないことがたくさんある! 否! 分からないことだらけ!」嫌になってしまいます。忙しい時などは、腹さえ立ちます。それでも読み続けています。分らない沢山の人々に、ことに支えられている自分を知るため、誠実に生きるために、大切な時間と考えて踏ん張っています。
 傲慢な、自分一色の世界を脱ぎ捨て、独りよがりに別れを告げ、虹色の世界と喜び出会う為、全てのことに感謝することを学び、祈るために。

Posted in 156センチの視線 | Comments Closed