156センチの視線

2018-07-08
7月8日「神の家族ーキリストの一つなる体」

先週の7月1日の礼拝は、喜びが浪岡教会に満ち溢れました。待ちに待った武田晶子さんのバプテスマが執り行われました。お祝いのために、5年間祈り続けてきてくれた神の家族、弘前西教会は、「ジョイフル」メンバーを含め、10人を祝福の賛美をするために送り出してくれました。
 「見よ、兄弟が共に座っている。何という恵み、何という喜び。」(詩編133:1 賛162)が心の底から湧き上がってきました。教会は「神の家族」である確かな出来事が実現しました。「浪岡教会と共に生きよう」と決断した弘前西教会の祈りが今一つの実を結び、祝福が覆う賛美と感謝、恵みの時となりました。
 すべての教会、その群れは各個、個人で完結するものではありません。一つなるキリストの教会である祈りによって建て上げられるのです。
 浪岡教会と共に生きることを選択した弘前西教会は、神の恵みを証するために選ばれた群れとして、感謝する恵みの時となりました。
 キリストの教会は本来一つです。原点は「キリストの一つなる体」です。「コーチング」-七つの本質-の歩みは、この具体的展開でもあります。「教会はキリストの体」何と素晴らしい真理でしょう。一つなる教会の出航のドラが響いています。

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2018-06-15
6月10日「入社式?」

 金曜日、東奥義塾では宗教主事の阿部義也先生が手製のカレーを振る舞ってくれました。これはルーも独自のエスニックな一品です。オルガン奏者の水木先生もいらして、東奥聖社に新しく入社(入部とは言わないのです!)した方々を歓迎する意味もありました。
 今年はなんと6名の入社がありました。年によって数は違いますが、今年はとても多いと阿部先生も喜んでおられました。その中には、かつて東奥聖社にいた方々の妹、弟が3名もいるのです。東奥聖社の伝統が受け継がれていることを感じます。そして、その方々はやはり、兄、姉とは全く違う人種じゃないかと思うくらい違うのです!個性とは本当に素晴らしいものだと感じています。
 毎週、金曜日に集まる機会を設けてくださっている阿部先生にも感謝です。また、7月に小樽からイッピー(子どもたちのゴスペルグループ)が来ますが、その時に東奥聖社の方々もいらっしゃるそうです。今からワクワクします。同じ世代の方々が交流を深めることで、素晴らしいことが起こるのではないかと期待しています。今は離れていても連絡を取り合える時代です。チームとして成長していってくれたら、と祈り願う日々です。

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2018-06-03
6月4日「御手の中で、讃美と感謝が満ち溢れ」

「御手の中で~(^^♪~ の日々」でした。祈っていた一つ一つが、神様のプレゼントとして与えられ、賛美と感謝の中での歩みでした。
 いのちの電話連盟総会に出席して驚きました。25年前総会に参加した時、理事長として出席していた多くの方がいないことです。「時」を感じました。が、新たに熱心に関わっておられる方々が起こされていることに敬意と感動を覚えました。
 総会が終わり、毎年、この機会にお会いする方々と、豊かな交わりの時を二日にわたり与えられました。その中でも、親友であった馬場哲夫兄の奥さんのフミさん、弘前西教会設立を共に担ってくれた田代優子さんとの交わりは、今日までの主の備えと今一度出合う喜びが溢れる時となりました。
 27日(日)、会堂建築を祈っている境南教会での宣教奉仕は、感謝と喜びの時でした。若さ溢れる貴田直樹牧師、深澤教会で信仰を共にした大楽さんと教会の方々、賛美奉仕のヨーコ・トリヤベさん…。教会が喜びで満ちました。一つなる神の家族の恵みを分かち合うことができました。
 帰って来ると教会の庭に薔薇の花が咲き始め、花壇も畑もそれは嬉しそうに輝いていました。水曜日の祈祷礼拝は武田晶子さんも加わり7名で守ることができました。新しい時が始まりました。

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2018-05-06
5月6日「今この時を、愛に生きる」

5月に入りました。早いもので1年の三分の一が過ぎました。時の速さにめまいさえ覚えます。今年は5月5日が「立夏」です。今この時を大切に…、「焦るな 怒るな 威張るな 腐るな 負けるな」の「あおいくま」を生きること。すなわち「愛に生きる」ことと思いを定める途上にある日々です。わたし流の解釈では、「受けるより与えるほうが幸いである」(使徒20:35)となります。いま、この年まで生かされ、十分に挑戦しがいのある、日々を手にしました。。
 体の不調で手つかずにいた畑に、やっと消石灰を入れ耕しました。便秘が解消したような解放感を覚えました。畑の作業の入り口にやっとたどり着きました。あとは畝を造り植えるだけです。昨年と同じ場所に同じ作物を植えないように輪作を考えていると、連休でお泊りに来ている「かえな」が、「おじじ、去年はここになすが、トマトが…」と、ニコニコ教えてくれました。固くなった土の塊を砕いて畝づくりの手伝いも!最高の休日!
 翌日、目が覚めると、体中がどこもが軋み、痛くて疼き動くことができなくなっていました。
 「明日世界が砕け散ろうとも、わたしはリンゴの木を植え続ける」(ルター)を思い出し、霊肉ともなる日毎の養いの大切さを思い祈らされました。

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2018-04-08
4月8日「聖書の写経」

日曜日と水曜日の説教の準備は、祝福の時であると同時に、産みの苦しみの時です。自分の知識の貧しさに加え、霊性の低さを嫌というほど思い知らされます。為し得ないことを、神の言を取次ぐという不可能と無謀にも挑むのですから。
 御言葉の選定、に始まり、三回の説教原稿推敲の過程は喜びというより重苦しさと、自らの足りなさと毎回向かい合う時となります。
 そんな中で説教準備の時、御言葉をノートに、あるいは紙に書き写すことの豊かさを知りました。言うなれば「写経」の豊かさです。不思議に御言葉の方から語りかけてくる恵みを味わうことができます。先週の祈祷礼拝の準備の時もそうでした。
 「だれの罪でも、あなたが赦せば、その罪は許される。だれの罪でも、あなたが赦さなければ、赦されないままで残る」(ヨハネ20:23)を書き写している間に長い間のモヤモヤした思いが氷解しました。「そうだったんだ!」。
 すでに赦しておられる主です。赦していないのは「わたし」なのです。赦さないことによって、罪のもとに縛り付けられている「わたし」がそこにいることになる発見…。聖書の写経やってみませんか!思わぬ新しい発見があります。まずは、自分の大好きな御言葉を書いてみることから!

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2018-04-01
4月1日「新しいことがこの地に」

 東京ホープチャペルでもたれた「癒やしのワークショップ」へ私たちの教会から派遣された祈りの宣教師(そう呼ばせていただきたいです)の皆さんがお帰りになりました。まず、その方々の顔を見た時、主が素晴らしいものを見せてくださったのだとすぐに分かりました。なぜなら、顔は喜びで輝き、うちから命の水があふれるように、周囲を満たしていたからです。
 これまで、他所でもたれるセミナーや研修は牧師や一部の献身者が参加し、他の方々は帰ってきた一人、二人の意見、報告を聞くにとどまっていました。もちろん、これも素晴らしいことですが、参加した本人にしかわからない恵みがあるものです。今回、数名の方が参加したことは、多面的に恵みを捉え、ユニークな神の計画に参加するために欠かせない、主からのプレゼントだったと思っています。これは単なる研修旅行ではなく、宣教旅行と何ら変わらないと思います。
 私の海外宣教と同じように、主が与えてくださる素晴らしい出会いと、驚きと、霊の満たしがあるのです。牧師をはじめとした多くの方々が、みな外に出ていって恵みに満たされると、どんなに凄いことが起こるでしょうか?「私の愛する使徒たちの時代と同じことが起こる」そう主がおっしゃっているような気がします。

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2018-03-31
3月25日「癒やし手の条件」

 津田キリスト教会の女性からメールがきました。東京で開かれた癒やしのワークショップで「弘前の方々にお会いしました」ということでした。その方も、癒しの祈りを通して解放された経験をお持ちでした。そして、自分の経験を証ししたいという祈りをもっていたところ、東京でスタッフとして手伝って欲しいという召しがあったのです。
 その方は神学校で特別な訓練を受けたわけでもなく、聖書の知識が学者のようにあるわけでもなく、ただ神を信じ、人々を愛する思いを与えられ、癒しの祈りを通して解放されたことで、そのことを人にもしたいと、「与える」奉仕に導かれました。それは、彼女の思いと主の計画が一致した瞬間であり、それこそ主が望むことであって、人々が解放され、弟子になっていく姿そのものでした。
 弟子になるというのは、やりたくないことを我慢してやることのように考えていた時期がありました。しかし、主はその人に個性を与え、その人の思いを超えて豊かに叶えることを通して、弟子になる喜びを教えてくれるのだと示されています。祈りの人は祈りの人に、伝道の人は伝道の人に、教師は教師に、しかしそのすべては人々の解放に向けられているのです。
 今、癒やしと解放が弘前に満ちていきます。

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2018-03-31
3月18日「主が前を行かれる」

 岡本さんご一家の送別会を前に、教会での出来事や家族の写真を眺めていました。特に、子どもたちの写真に目が止まりました。はじめて歩いたときの感動、はじめて言葉を発したときの興奮、会話が成立したときの喜び。子を育てながら、私たち罪人を子としてくださる父なる神の大きく深い愛を思い知っていく日々でした。
 教会の方々や、私たち夫婦はもちろんのこと、一緒に育ってきた私たちの子どもたちにとっても、岡本さんご夫妻、立人くん、築人くんの存在は大きく、教会以外の場所で会う時、とても嬉しく、そして心強く感じました。「こんなに素晴らしい方々と一緒に、神を信じる家族として一緒に歩めるなんて」と日頃から思っていたものです。
 これからも、岡本さんご一家は、それぞれが神のことばに生き、出会う人々を解放し、教会の家族を励まし続けていくのだろうと思います。私たちがそうだったように、次に出会う方々は幸せだな、と羨ましく思うとともに、その幸せを私たちだけのものとして独占しないようにとの神の声が聞こえてくるようです。
 大きな喪失感があります。しかし、主が前を行かれます。主の示される新しい季節へ旅立たれる、岡本さんご一家の祝福を祈ります。

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2018-03-11
3月11日「焦るな」「怒るな」「威張るな」「腐るな」「負けるな」

「休む以外に為すことなし」「休むことを一番の仕事とする」ことを余儀なくされての1ヵ月半、とても大切なことを学んだように思います。そればかりか、痛みと病気で断念していた「癒しのセミナー」に、場所が香川から東京に変わりましたが、受講できることになりました。「神のなさることは皆、時にかなって美しい」(伝道3:11)の御言葉を味わう祝福の時となりました。
「天が地を高く超えているように、(神様の思い)は、わたしたちの思いを超え、超えて高く超えて」(イザヤ55:9)います。そんな中、久しぶりに「あおいくま」を思い出しニヤリとしました。「焦るな」「怒るな」「威張るな」「腐るな」「負けるな」の頭文字です。「信ずる者は慌てることがない」(イザヤ28:16)のです。ひたすら「今、ここで」感謝することの大切さに目が開かれました。 「ないものではなく『ある』ものに感謝」することを。
華道家元池坊には「少なさは寂しいことでも貧相なことでもありません」との言い伝えがあるそうです。以前、横手で伝道巡回をしたとき、ある家庭の床の間の一輪のアイリスに心打たれたことを思い出しました。
どんな今にも溢れるばかりに注がれている神様
の愛の眼差しを想いつつ信じ探すこの頃です。

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2018-02-11
2月11日「聖霊の人=愛の人」

1月27日から1週間の予定で、牛山牧師と一緒に出席予定であった、香川県の津田キリスト教会で行われた研修会を、涙をもって断念しました。「痛風」(実はそうではないようです。MRIをも撮りましたが原因が特定できず)もどきの激痛が1カ月余たった今も襲ってきます。
 直前に、飛行機と宿泊の予約を取り消しました。残念でしたが、ここにも「御心がある」と信じることなくしては、「言っていることとやっていることとが違う」ことになります。懸命に祈り、最善を信じることにしました。28日の礼拝で出席者の送迎をお願いしていたY兄がインフルエンザにかかり欠席の連絡が入りました。せっかく宣教の奉仕にあたってくれるコルドウェル師を囲んでの礼拝ができなくなるところでした。感謝しました。
 「癒し」は長い間のわたしの宣教の課題でもありました。世界最大の教会の趙牧師のもとでの1週間の学びも…。そして今気づきました。「癒し」は愛と共感の想像力の内にのみ実現するということを。深い共感と想像力が伴う「聖霊の人=愛の人」となる必要を心に刻むことができました。更なる「感謝を生きる」歩みへと導かれました。
 1日、「500の感謝」にチャレンジしています。新しい時は新しくされた「自分」を通してです。

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2018-02-03
1月28日「万人祭司」

 29日(月)から香川県の津田キリスト教会でもたれる癒やしのセミナーに出席することは、シューミン・クォン先生という特別なスターにお会いすること以上に、初代教会の7つの本質の一つ「能力付与」を推し進めるためだと思っています。
 釜石で出会ったある青年は、ショッピングモールをなんともなしに歩いていると、若い男性から声をかけられ、「痛いところがありませんか?」と聞かれました。青年は腕の関節が痛かったので、言い当てられたことにびっくりしたことを伝えると、男性は「その痛みを癒す祈りをさせてもらってもいいですか?」といって手を握って祈ったのです。驚くべきことに、腕の痛みはすぐに癒され、彼は驚きをもって男性についていきました。そして、自分の話を真剣に聞いてくれて、自分を愛し、励まし、ともに歩んでくれる家族のような仲間と出会ったのです。彼はすぐに洗礼を受けて主の弟子としての歩みをはじめました。
 この聖書にありそうな話が、すぐそこにあるのです。しかも、癒しの祈りをした若い男性も、最近洗礼を受けたばかりの方で、癒しの祈りを学んだ他の人に教えてもらって、ただそれを実践しただけ。ごく普通の人です。
 主の「能力付与」が現実化します。お祈りください!

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2018-01-21
1月21日「未来を主に委ねる」

幼いときから音楽を聞くのが好きで、5歳年上の姉の影響を受けて、アメリカのビルボードをチェックし、早くから多種の音楽に触れる中、地元には本音で音楽の話ができる仲間はいないと悟り、人に合わせるのが当たり前だと思っていました。高校に入った初日、当時手に入れて、いつも聞いていたBrand New HeaviesのCDを机の上に置いておくと、それを見た生徒が声をかけてきました。美術部の部長候補で、現在はアートディレクターとして世界中で活躍する親友との出会いでした。
 優れた友人たちとの出会いを与えられ、高校生活は素晴らしいものでしたが、将来の明確なビジョンをもって道を決めていく彼らのように、私にはこれといってやりたいことも、得意なこともありませんでした。そして、友人たちに引け目を感じるようになり、自信がなくなり、人生に意味を見出だせなくなり、それが20代後半まで続きました。
 前を見ることは、イコール最悪の未来を描くことだったあの時、「みんなが言うように、本当に救い主なら、俺を救ってください!」と主の前に進み出てから、未来をこの復活の主に委ねられる平安を得たことは、当時の自分と今の自分との間にある、大きな違いでしょう。

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2018-01-14
1月14日「よき力に守られ、前進の力が!」

2018年が始まって、早くも半月が過ぎようとしています。変な言い方ですが、まだこの年に馴染めないでいます。緊張しっぱなしです。恥ずかしいことですが、座っていても横になっていても出てくるのは溜息ばかり。気を付けているのですがつい、妻に、「どうしたの?」と度々言われています。教会のこれからのことを考える時、自分の不十分さ、心の偏狭さ、愛の無さに気付く時、言動のお落差に気付く時、…傲慢の徴に他ならない落ち込みに振り回されます。
 7日の朝の祈りの時、「『ああ』というため息が不安な魂から発せられる。そして彼らの目が偉大な救い主を見上げる時、このため息は何よりも自分のための力強い祈りの力となる。」(D・ボンヘッファー)の言葉に出会い慰めを与えられました。
 傲慢にも、自分から神様に近づこうともがいていたのです。まったくその逆で、神様の方からわたしに近づいてこられ、ため息すら祝福に変えられる恵みを忘れてしまっていました。「えふりこぎ」から「出エジプト」の時を告げられました。
 そんな7日の礼拝に、教え子の工藤さんが見えられました。清野さんに続いて若い方が導かれ感謝が溢れました。「教会は信じる者の希望の群れ」(ニーバー)です。よき力に守られ、前進の力が!

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2017-12-10
12月10日「I am growing day by day」

先週の7日(木)は朝起きると、積もっては消えの雪が、しっかり積もっていました。また消えるかもしれませんが、「もう根雪になっても受け入れるしかない」の心境となり心も定まりました。
 24節気はこの日から「大雪」に入りました。あまりにぴったりでニヤリ、「やるな!」と。妻には「あまり早いと健康に良くないんだって」と5時半ごろからサラの散歩をするわたしに。どうも私の健康ではなくサラの健康を気遣って…?
 朝の祈りと御言葉の時、(途中でテレビ体操)を終えると8時近くになりますが、この日はまず、8時までの20分間この冬初めての除雪機を動かしました。一昨年の11月に移住して、3回目の除雪機使用です。ちょっと不安でしたが、思いの外スムーズに。食事の後も。合わせて1時間ほどの作業になりました。最初にしてはなかなか…!
 朝の1時間はちょっと痛いと思ってしまいますが、心を切り替えて、楽しく、上達できるように励みたいと思っています。
 「なんぼイッキモッキ(性急な性分)だの!」との母の声が今も、事ある毎に聞こえてきます。「これからだって成長できる」と自分に語りかけ、〝I am growing day by day”と言ってあげることにしました。クリスマスがやってきます!!

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2017-12-03
12月3日「チームの力」

 本質によって一致する教会を目指して学び始めてから二年半。教会に来るのが楽しくなった、祈祷会が熱くなった、燃えてきた、などなど、セミナーを通して本質を学ばれた方々の声は日に日に勢いを増しています。一方で、未だ礼拝の中ではシェアされず、「7つの本質」、「コーチング」という言葉がまったくわからない方々も多いのが現状です。クリスマスを終え、十戒の学びを終えてから、いよいよ「本質」についてのメッセージを始めようと思います。
 どのように語るべきか、水村先生、額田先生、森先生など、すでに本質を教会とお一人おひとりに注ぎ込み、命あふれる共同体になった、という証をもっておられる先生方に伺いました。すると、意見がバラバラなのです!参考にならない、ということが参考になりました!7つの本質が、単なる方法論でないことの証明だと思います。
 この学びをするようになってから、私はチームということを意識するようになりました。教会もチーム、地域もチーム、家族も当然チームです。人生すべてがスモールグループという水村先生の言葉通りです。チームに祈ってもらえることの喜び。一緒に歩んでいると感じられる幸せ。今は、説教を一人でつくっているという感覚はありません。主とともに、助けてくれるチームがそばにいます。

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2017-11-12
11月12日「154センチ?」

先々週の30日(月曜日)家内と一緒に「国保特定健診」に行ってきました。ありがたいことに無料で検診が受けられるのです。不覚にも、そんな年になるなどとは夢にも思っていませんでした。
 「仲良しの、雷様とお日様とお月様が一緒に旅に出ました。宿屋に着き、おいしい食事で一杯やり、眠りました。翌朝起きてみますと、お日様とお月様がいません。宿屋の主人に雷様が聞きますと、『二人は早々にお立ちになりました』と。『そうか、月日の経つのは早いものじゃ』と。主人、『ところであなた様はいつお立ちで?』雷様、『夕立じゃ!』」の小話を思い出してしまいました。
 ところで気が付きましたか?このコラムの題が「154センチの視線」になっていることに!検診の時測ったら、「154センチですね」と。「ワッ!」でした。教会案内の写真、どう見ても家内のほうが高い!?」やっぱりそうでした。身長計によると0.5センチ高かったのです。あるがままとは言え、「身長まで!」と。
 「『外なる人』は衰えていくとしても、~『内なる人』は日々に新たにされていきます。」(Ⅰコリ4:16)楽しみつつチャレンジです。「ゆっくり、静かに、心を込めて、賛美と感謝と祈りをもって」教会を支えてくれた方々と共に。

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2017-11-05
11月5日「主のように」

 宣教前の周知事項として、宣教師から覚え書きをいただきました。そこには、現地の現状と宣教にとって妨げとなる行為の数々が書かれていました。それは、未伝地ミッション(教会もなく、信仰者もなく、聖書もなく、伝える人がいない場所)における重要なことだと感じました。
 イエスの名前を叫びながら行進したある短期宣教チームのせいで、長い間積み重ねてきた現地の人々との関係が破壊され、一部の宣教師は取り調べの後、強制送還された地域も。また、部族そろってイエスを信じた人々が、短期宣教チームに促され、他の村へと入り、仏壇を前にして、偶像礼拝は罪だと叫んで、大切にしているものを破壊するなどして、「二度とキリスト教徒は村に入れるな」という禁止事項が村に行き渡ってしまっているところも。
 主が今、その場所に来られたら何をするか。それを本当に大事にしたいと思わされました。特に、仏教しか知らず、それを守ることこそが最高の人生だと疑わない人々の中に入っていこうとする私たちは、彼らの信じているものの素晴らしさを尊重しつつ、それゆえに苦しまれていた人々を解放した主のように、寄り添いたいものです。
 同じことが、1%以下の信仰者しかいない日本にも言えるのではないかと考えさせられました。

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2017-10-08
10月8日 星野富弘「立っていても 倒れても そこはあなたの手のひら」

先週の4日(水)は中秋の名月の日でした。残念ながら、この時候の「秋の空」のもと、「〇心と秋の空」(実は、室町時代の狂言に、「男心と秋の空は一夜に七度変わる」というセリフがあるそうな)の言葉通りで、変わりゆく天気の中で名月を見ることはできませんでした。
おまけに、しばらく見ることのなかった「雹」まで降り、少学校の校舎、一人ぽっちの放送室と割れたガラス、雹が敷き詰められた校庭…が脳裏に浮かび幼い頃の自分と出会いました。
そんな中、「月落ちて天を離れず」の言葉と出会い、星野富弘さんの「立っていても 倒れても そこはあなたの手のひら」の詩を思い出しました。アウシュビッツのガス室の壁に刻まれた〝I believe in the sun even when it is not shining. I believe in love even when I cannot feel it. I believe in God even when He is silent.”の言葉をも。
「わたしの時は あなたの御手の中にあります。」(詩編31:15口語訳)の御言葉が思い浮び慰められました。視界から消え失せても月は天から離れないように、どんな状況の中にも、御手の内にあるわたしたち、神が沈黙しているように思える時も、神の愛の中なるわたしたちです。感謝!

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2017-09-17
9月17日「本質による変化」

 月曜日、高校からの友人たちと会いました。どんな人生を歩もうが、何をしていようが、リスペクトし合える仲間がいるのは素晴らしいことです。
 以前までは、彼らに教会のこと、聖書のこと、牧師という仕事のことなどを聞かれても、うまく答えられない自分がいました。今回、彼らに聞かれたのは、「神戸で何を学んでいるのか」ということでした。彼らに「コーチング」という働きがあることを話しました。すると、「それって信者じゃなくてもいいの?」と聞かれたので「もちろん」と返すと、驚いているようでした。そして、興味を持ってコーチングのこと、それが聖書の根幹である人を造る神の働きであること、そして教会のこと、牧師の働きのことをはっきりと明確に伝えることができました。彼らは大きな驚きをもって、そして尊敬をもって、その話を聞いてくれました。これは、私たちの関係において、まったく新しいことが始まったことを意味します。
 7つの本質とコーチングの学びをはじめてから、色々な点がクリアになったような気がします。セミナーに集まった先生方にそのことをシェアして、皆で主を賛美しました。ハレルヤ!

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2017-09-10
9月10日「ありがとう、然り、感謝」

誕生日を迎えるにあたり、今日までの足跡を思いだせる限りの記憶をたどることにしました。幼少期から小学校、中学校、高校、予備校、東京での大学、就職、神学校時代までの28年間。神学校最後の半年前の結婚。そして帰郷、伝道開始から43年。できるだけ丁寧に記憶をたどりました。「感謝」するために。
 わたしの今日までの最大の課題は、自分の人生に極めて否定的なことです。あと残された牧師としての働きは、長くても10年程のものでしょう。「何を守るよりも自分の心を守れ。そこに命の源がある」(箴言4:23)に促されて旅に出ることにしました。
自分に否定的な者は、同じように他者にも否定的だからです。「自己受容=他者受容」は真実です。そして、今も、思い出す一つ一つに、「ありがとう、然り、感謝」を言い続ける度の中です。どんな出来事にであっても。今のわたしはその上に築かれているからです。今、金鉱を掘り進んでいます。
 「祝福は感謝するまで祝福とはならない」のです。後悔と自己嫌悪は破壊以外の何ものを生みだせません。「愛すること信じること」の航海へ船出です。
 妻と10日に終了になる「遥かなるルネサンス」-天正遣欧少年がたどったイタリア-を観に県立美術館に行ってきました。少年たちの信仰と情熱、苦難と…。不思議な時の広がりに出会いました。

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