156センチの視線

4月14日「生まれて初めて」

 先週の金曜日には、生まれて初めての経験をしました。何かというと、義塾の朝礼拝で、娘を前にして聖書のメッセージを語った、ということです。
 教会では経験済みですが、場所と状況が変われば、ドキドキするものです。もちろん、教会でもドキドキしますが、何か種類が違うものを感じていました。
 新しいクラスでの聖書の授業も始まり、新しい生徒の方々との出会いもあって、緊張していたのか、どっと疲れが出ました。
 お昼休みを含めた休憩時間に、宗教主事室で岩住先生と語り合うひとときだけが、変わらない平安と希望の時でした。
 良いのか悪いのか分かりませんが、私が緊張していても、あまり他の方には気づかれないようです。しかし、義塾の礼拝堂で数百名を前に御言葉を取り次ぐにあたって、また、教会でメッセージするときもまた、緊張しているのです。そんな時、川崎の教会で古波津先生がおっしゃっていた言葉が今でも蘇ります。
 「私はいつも緊張してしまうので、イザヤ書の御言葉を口に出して、主が一緒にいてくださることを確認しているんですよ。」
 今回も、そのようにしました。すると、勇気と平安が私を包み、恐れから解放されました。
 緊張は恐れから来るものなのですね。