宣教
12月16日「招かれる神」
ヨハネ14:1〜3
人には居場所が必要です。家庭、職場、友人知人、そのどれもが与えられた居場所ですが、その居場所から立ち退きを要求されたときのことを考えたことはあるでしょうか?
ある人は、家庭に居場所がなく、またある人は職を追われ、友人や知人から拒絶されることもあるかもしれません。その時、私たちはどのような気持ちになるでしょうか。
主イエスは、あの日、すべての宿屋から拒絶され、家畜小屋でお生まれにならなければなりませんでした。また、故郷では偏見によって拒否されました。そして、十字架の上では、全世界から居場所を奪われたのです。「言は、自分の民のところへところへ来たが、民は受け入れなかった。」(ヨハネ1:11)のです。
自分から居場所を奪った人々に対し、主は報復することもできたでしょう。しかし、それはこの世界の常識であって、神の国の法則には当てはまらなかったのです。なぜなら、神の国には「住む所がたくさんある」(ヨハネ14:2)からです。天には私たちの居場所が用意されており、立ち退きを要求されたり、拒絶されることはありません。
神の国に招くため、主は今も一軒一軒戸口の外で扉を叩かれているのです。