宣教

8月2日「神の平和」

マルコ7:14〜23
 ある時、主イエスの弟子たちが手を洗わないで食事をしていると、そのことに異議を唱える人々が現れました。まるで幼い子供の話のようですが、食事の前に手を洗わないというのは、単に不衛生というものではなく、宗教的な「清め」を重要視する人々にとってはありえない行為だったのです。
 しかし、主はそのような人々に対して、外側と内側という二つの側面から、人間に影響を与えるものについて語られました。どんな人でも、外側から内側に向かって入ってくるものは重要です。例えば、食事、情報、空気など、肉体的にも精神的にも影響を与えるものが存在します。しかし、それ自体が人間に悪影響を与えるものではないと主は言い切るのです。そして、内側から出てくるものこそが、人間に本当の意味で悪影響を与えるものだとおっしゃったのです。
 聖書は人間が罪の性質をもっていることを正直に告白し、その奴隷状態から解放されるためには、救われることが必要だと教えています。そして、救われるために必要なのは、宗教的行事への参加といった自己鍛錬ではなく、ただイエス・キリストを信じることのみであると宣言しているのです。そして、救いとは、外側ではなく、内側の変化を言うのではないでしょうか。