宣教

11月20日「天への手土産」

マルコ13:32~37
 主イエスは世界の終わりについて弟子たちに説明されました。当然のように、弟子たちはその日その時はいつなのか、気になりました。しかし、主はお答えになりました。「知らない」と。
 主は大事なことを教えてくださらない、無責任だと言う人もいるかもしれません。すべてをご存知で、過去と未来を縦断できる命の主が、そのことだけは知らないと言う。本当にそうなのでしょうか。
 実は、この「知らない」という言葉は「興味がない」という意味も持っています。主は世の終わりの日をご存知ないのではなく、そのことを特定することに興味がないのです。なぜでしょうか。
 仮に、この世界があと300年後に終わると知っていたら、あなたの生活はどう変化するでしょうか。もしかしたら、自分はそこまで生きていない、という理由で無関心になるかもしれません。しかし、今日、世界が終わると知ったらどうするでしょうか。
 誰しも、自分の最期を知っている人はいません。そして、すべての人は人生の最後に後悔したくないと思うでしょう。
 世を去る日、すべてを明け渡し、主の御手に委ねる日です。最高の人生だったと言うことができるはどのような人なのでしょうか。