宣教
2月19日「神への信頼」
マルコ10:13~16
聖書における女性と子供は、力のない象徴として描かれています。ものの数にも入らないほどの扱いを受けていた時代、主イエスはまったく異なる視点を持っておられました。
人々が子供を連れてきた時、そこには乳飲み子までいたと聖書は描写しています。目的は主に触れていただくため、手を置いて祈ってもらうためでした。なぜ、彼らには祈りが必要だったのでしょうか。
「心の貧しい人々は幸いである。神の国はその人たちのものである。」とおっしゃった主は、ここでも「神の国はこのような者たちのものである。」と弟子たちに教えました。両者に共通するのは、弱い、ということです。それは社会的なことかもしれませんし、経済的なことかもしれませんし、精神的なことかもしれません。いずれにしても、子どもたちは弱かったために、主に触れていただくことが必要だったのです。
多くの人たちが救いを求めています。そして、多くの選択肢を試しています。その全員が、主に触れていただく必要のある方々であり、私たちも同様です。
人々を主にお連れする時、躊躇しているとしたら、それは、本当の意味で主のもとにお連れしようとしていないからなのです。