156センチの視線
6月11日「自由になる」
わたしは事あるごとに、「自分はなんてケチなんだろう」と、ケチな自分を嫌になることがよくあります。以前より少しはましにはなっていますが、それでもやっぱりケチなのです。
幼いころは羊羹やスイカの切られたのを見ると、「1ミリでも多いほうを」と、目を皿のようにしている自分に気づき、顔がほてりましたが、気づかれないように取り繕ってきました。欲張りでケチなわたしは、子ども心にも必死に悟られないようにごまかし続けてきましたし、今もしています。
クリスチャンになり、牧師になると、そんな自分に後ろめたさを覚え、そうしないようにするのですが、気が緩むと本性が顔を出してしまいます。
イエス様と出会い、イエス様の気前の良さに心を揺さぶられつつも…。完全に、自分病にかかって抜け出せないでいます。
今、「神様(イエス様)は色覚障がい」という言葉を思い出しています。黒も白も黄もない。皆、神様の愛の作品、ということです。
ミクロン単位の物差しをもって、ありとあらゆるものを測りまわる愚かしさから解放されなくては、と願い祈っています。「真理はあなた方を自由にする」と言われた自由という愛から何と遠いこと!福音の何と深いこと!主よ、憐れみ給え!