156センチの視線
8月13日「すべてが益に」
「時々」というより「いつも」、週報のこの欄を書く度に、「何でこんなことを初めてしまったのだろう?」と頭を抱え込んでしまいます。余り変化のない日常の中で、週報の絵とこの欄は、浅学菲才のわたしの手に余ること度々です。そんな今、フッと、イギリスの批評家で芸術家のジョン・ラスキンのことを思い出しました。
彼は、「神が砂を握るとオパールに、煤を握るとダイヤモンドになる」と言いました。これがわたしたちの人生なのだと。「すべてのことは共に働いて益となる」(ローマ8:28)の御言葉が浮かび、この猛暑の中、今一度人生を振り返る良き時を与えられました。試験という試験のことごとくに失敗してきた、今日までの残り少なくなった歩みを思い起こし、御名を讃えました。
あの数えきれない失敗があっての「今日のわたし」です。「取り返しのつかないような失敗」を通してすら、主は見事な贖いと祝福の人生を演出してくださっているのです。
イエス様と出会った、卑しい、貧しい、罪びと達に現わされた、救いと解放と喜びの宴を今一度心に刻みました。主は、今、ここで、私たちと一緒にいてくださいます。主が共におられる「わたし」との出会いが、喜びがここにあるのです。