宣教
9月17日「朽ちない勝利」
Iコリント9:24-27
使徒パウロは宣教について、できることは何でもする、と伝えています。そして実際にそのようにしてきた彼です。
スポーツ選手が勝利を目指してできることは何でもするように、パウロはキリストを伝えることにおいてもその姿勢を引き合いに出しています。
しかし、スポーツは朽ちる冠のために、福音宣教は朽ちない冠のために、と明確に区別しています。
あなたが全力で取り組んでいることは何でしょうか。日々、祈り求めていることは何でしょうか。それは朽ちない冠のためでしょうか。それとも、朽ちる冠のためでしょうか。
私たちは、病の癒やしを祈り、経済の祝福を祈り、ライフプランの成就を祈り、その他、様々なことに全力を注いでいますが、それはすべてこの地上での出来事であり、肉体も、世的な願望も、その全てがやがて朽ちていくものです。その勝利は不確かで、勝つ時もあれば負ける時もあります。その不確かさは信じて歩むにはあまりにも脆い対象です。
世に勝ったキリストの言う勝利とは、そのような曖昧なものではありません。死は勝利にのまれてしまった。これが揺るぎない勝利であり、信仰の根拠です。