宣教
12月31日「主において」
フィリピ4:4~7
主イエスの教えは非常にシンプルであり、できるかできないかの可能性で言えば、誰にでもできるのです。これは、信じることを救いの条件とした主のみ心と合致しています。ただし、それが簡単か難しいかで言えば、断然難しいと言わざるを得ないでしょう。
「喜ぶ。」これも主の教えの中ではシンプルかつ難しい命令でしょう。フィリピの信徒への手紙は「喜びの手紙」と言われていますが、著者であるパウロが浮かれてしまうような状況だったわけでは決してありません。彼は獄中にいました。それでもなお、彼は主の命じられた「喜び」を選び取っていったのです。
私たちは根拠のないものに希望を置くことはできません。それはパウロも同様でした。ですから、彼は「主において」喜ぶことを見出していきました。
神の御言葉は永遠に変わることがなく、この世界が十字架によって神を亡き者にしようとしても復活があり、消え去ることがありません。私たちはだからこそ、「主において」希望を持ち続けることができるのです。
私たちが喜ぶのは状況が変わったら、ではありません。主の素晴らしい約束と不変の真理のゆえに、喜ぶのです。