宣教

5月12日「何時でも、どこでも」

詩編118:22~25  ローマ8:26~30
 ジョン・ラスキンは、19世紀のイギリスを代表する評論家です。友人の一人の夫人が、非常に高価なハンカチを汚し、嘆いているのを見て、それを譲り受け、そのシミを用いて見事な美しい模様を描いて,婦人に返したという、有名な逸話があります。日本でも葛飾北斎にも同じような逸話があります。
 わたしたちの日常は凡庸に満ちて、そんなことなど起こることはないと思っています。が、「わたしを強めて下さる方のおかげで、わたしにはすべてが可能です」(フィリピ4:13)とパウロは言います。わたしたちは自分の理解(可能性)の中にすべてを取り込み、前に進もうとしません。世界を、人生を、自分の穴の中から覗いて結論を出します。
 しかし、私たちは「御手の中」にます。そして、ここで神の時を生きるように招かれています。「家造りらの捨てた石が、隅の親石となった」とあるように、神の恵みの時を生きる者とされています。
1.神様はわたしたちの嫌がる病気、苦痛をも、2.悲しみをも、3.罪をすらも 御業のために用いることがお出来になると約束しています。
 山上の説教の中で、「心の貧しい人」、「悲しむ人」「義のために迫害される人」の幸いを、主は宣言されました。いつも、何処もが御手の中だからです。

※動画はありません。ご了承ください。