宣教

6月26日「神の愛する子」

 箴言19:22、マタイ3:16−17
 人は自分の価値をどのようにして知ることができるでしょうか?他の人の評価こそ、自分の価値を推し量る材料だと思っていませんか?では、自分を評価し、価値を決めてくれる他の人は、人を評価することができるほど権威をもった存在でしょうか?
 聖書は、人が求めてやまないものは、人の変わることのない愛だと言います。その愛を獲得するために生きるとするならば、それは苦しいものとなります。なぜなら、人の愛は変わりやすく、また、獲得することによる一時的な喜びは悪魔の巧妙な罠だからです。
 聖書は「愛は神から出たもの」(Iヨハネ4:7)だと言います。神の愛は無条件、かつ永遠です。本来、人間はその愛によって生かされている存在であり、その愛の中で絶対評価されている存在です。
 主イエスがバプテスマを受けられた時、天から声がしました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。」主はこの声を常に聞きながら、十字架という荒波を乗り越えていったのです。
 どんな状況にあっても、地から発せられる声ではなく、天から響き渡るこの声に耳を傾けていきたいものです。人の求めているのは、この声なのです。