宣教

6月19日「思い込みへの挑戦」

 ヨハネ8:1~11
 聖書は人が神から離れていくことが、自己中心性の芽生えにつながることを指摘しています。それは、人が人を裁く時、特に顕著に現れます。
 何とか主イエスを告発し、殺害しようと企てる人々は、主を陥れるために姦淫の罪を犯した女性を用いて、律法違反の言質を取ろうと意気込みます。しかし、「罪を犯したことがない者」の存在を主に問われ、引き下がるほかなくなります。これは、罪の中に沈み込み、自己中心の中にいる時、人は盲目的になるのだということを教えているような気がします。彼らは、自分こそが正しいという思い込みの中にいたのです。
 すべての人が去った後、主は女性に言います。「わたしもあなたを裁かない。」神が人を善悪に定めないというのは衝撃的です。しかし、神が罪を容認しているわけではありません。私たちの罪ゆえに、その神の怒りを十字架で背負われた方がいる。それゆえ、私たちは赦され、生かされているのです。
 そして主は復活し、死の向こう側が存在することを証明しました。人の不確かな思い込みに対する挑戦。それが主イエスの業績であり、神の示す愛と希望なのです。