宣教

9月18日「ありのままの姿で」

 使徒言行録2:43−47、ローマ15:7
 「以前は問題がありましたが、神と出会い、すっかりよくなりました。」という証しは、多くの人を励まします。しかし、その人はそれ以降、問題はなかったのでしょうか?
 ダビデはイスラエルの最も偉大な王でしたが、嘘つきで、好色で、人殺しです。しかし、彼は「神の心に適った者」と呼ばれました。
 英語にsincere(偽りのない、真実の)という言葉があります。古代ローマ人は、自分たちの美的センスを誇るため、ギリシャの彫刻を美しく保とうとワックスを塗っていました。塗ったばかりのワックスは本物の大理石のようですが、一年しか効果が持ちません。行商人たちは、大理石100%の珍しい彫刻には、”sine cera”というラテン語の印をつけました。sineは「ない」で、ceraはワックスを意味します。
 キリストは私たちをありのままで受け入れてくださいました。初代教会が好意を持たれたのは、互いにワックスなしの相手を受け入れていたからだと聖書は伝えています。教会が、人に言えないようなことさえも分かち合える場所となっていく時、そこは神の国となり、多くの人が必要としている場所となるのです。