宣教

10月23日「道を外れてみよう」

出エジプト記3:1〜3 ローマ8:28〜30
 聖書は人が変わることができると宣言しています。しかも、才能あふれる一部の人ではなく、誰でも可能だというのです。変われないのは、神にその力がないからではなく、私たち自身が変われないと思い、神を信じず、自分を信じているからです。
 モーセは、よく見慣れた光景の中に、不思議な出来事を発見し、「道をそれて見届けよう」と言いました。彼は、いつも通りの日常の中で足を止め、「道をそれて」みたのです。そこから神の呼ぶ声が聞こえました。それまでのモーセの人生は聖書の一章分です。しかし、神と出会ってからのモーセの人生は、聖書全体に及びます。
 使徒パウロは、神が人々を「御子の姿に似たものにしようと、あらかじめ定められました」と言っています。御子イエス・キリストは、神の任命を完全に果たしました。それは十字架と復活という使命です。人を救うという生き方です。私たちは神の任命を放棄してしまった存在だと聖書は言います。
 そこから解放されて、神がデザインした本来の自分を取り戻すことこそ、日常という名の道をそれて、神の側に向かうことだと言えるでしょう。