宣教

12月31日「助けることは、助けられること」

ホセア11:1 マタイ2:14〜15
 聖書は主イエスの若かりし頃の記録を一切残さず沈黙しています。少年時代の記録が一つあるだけで、あとは生誕にまつわる物語だけなのです。しかし、そのわずかな記録から見えてくるのは、昨日も今日も、永遠に変わらない主の姿です。
 主イエスの誕生によって地位を奪われると恐れたヘロデは子どもたちを虐殺しますが、主は両親に助けられて、かつて先祖が脱出してきたエジプトへと戻り、そこで守られました。主の公生涯が30歳を過ぎて始まったかどうかに関わらず、主の生涯は公生涯よりも前から始まっていたのです。それは、何と人に助けられる経験から始まったと聖書は記録しているのです。これは、助けることと、助けられることの大切さを神がご存知であることの証しなのです。子どもを親が育てているようで、逆に子どもに育てられていると感じるように、主は人と人が助け合う関係を生きるようにと招いています。そして、自らの御業の陰で、涙をのまなければならなかった人々の苦しみや悲しみをも、背負って行かれたのです。それが、あの十字架の出来事であり、復活の希望によって示された、尽きぬ命の主の物語なのです。