宣教

3月11日「ここは『神の家』」

創世記28:10〜16 IIコリント6:1〜3
 「どうして?」「何故こんなことが自分だけに?」と多くの人が人生に問いかけます。しかし、この問いに答えは出てきません。
 実は、人生に問うている自分は、逆に「人生から問われているのである」とV.フランクルは見事に事の真実を言い当てています。答えがわからないから問うている自分がいます。
 ヤコブはなかなかの曲者です。一言で言えば「食えない奴」です。自分の好き勝手をやって、逃亡し、不遇を嘆くのは虫が良すぎます。逃亡の途中で石を枕に夜を過ごす枕もとに、天使の上り下りする階段の夢を見て、「ベテル(神の家)だ」と叫びます。
 ペトロもパウロも、マリアもヨセフも、ザアカイもバルトロマイも、イエス様と出会った人たちは、「ここは神の家」との告白に導かれています。これらの人々は「荒れ野で恵みを受ける」(エレ31:2~4)とある通りです。
 「天使が上り下り」する場所とは、あなたが今いる、「その場所」なのです。「ここ」にこそ、主のおられる、「靴を脱ぐ」場所に他なりません。「今や恵みの時、今こそ救いの日」です。「昔ヤコブの見しはしご今ここに 主をば仰ぎしわれのもとへと」