宣教
3月10日「奇跡の教会」
詩編51:12~14 ガラテヤ5:22~25
R・ブラウニングは、「われと共に老いよ。最上のものは、これから先にある。~それは生命の最後である。~われらの時は神の御手にある。~恐るるなかれ。」と詠います。「思い違いをしてはなりません。神は、人から侮られることは在りません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。…肉に蒔く者は、肉から滅びを、…霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。」と聖書は語ります。
しかし、「朝毎に新たになる」(哀歌3:23)主の恵みと慈しみの真実の故に、わたしたちは新しく生きることが赦されています。ダビデは、赦されざる罪を犯しましたが、「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」(詩51:12)と祈り、聞き入れられました。大切なのは、新しく生まれること」(ヨハ3:3)なのです。
教会とわたしたちが、キリストの器となるためには、「聖霊の実り」―愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制―です。教会の存亡はこの「聖霊の出来事」の一事にかかっています。
蕎麦屋が美味しい蕎麦を作ることに心血を注ぐように、聖霊の実を結ぶこと、これが教会とわたしたちの求める最も大切なことです。「愛、喜び、平和…」に生きる「奇跡の教会」のわたしたちです。