宣教

3月17日「約束された勝利」

ヨハネ16:25〜33
 主イエスの話されたことは、単なる自明の倫理ではありません。真理を語っているので、この世界の動きに合致する部分も多く見られますが、実際には主の十字架と復活における神の国の法則を語られていたのです。それは、人間の理解を遥かに超える奥義とも言えるものでした。
 不完全な信仰ではありましたが、すでに主を信じていた弟子たちは、確信を持って主に従う決意を新たにします。しかし、彼らはまだ人間的な努力の範囲を超える、超自然的な神の力を受け入れる前の段階にあったのです。すなわち、復活の勝利を体験していなかったわけです。
 信じ切っていたものが目の前で崩れ去る時、彼らはその状況を直視することができませんでした。主のためなら命を捨てる、と豪語していた弟子の一人も、自分は死刑になるような人物と関わりはないと偽り、逃げ出してしまうのです。かつて、湖で激しい嵐に襲われたときと、同じ反応でした。しかし、主の姿勢は一貫しています。あの時と同様に、今は命を捨てて、人々を取り戻そうとされたのです。それが十字架の奥義でした。
 主が語った「世に勝っている」という言葉は、決して十字架という試練を前にした強がりではありません。それは、天の国を知る方の確かな言葉なのです。