156センチの視線

9月1日「主のもとに帰る」

 ここ最近、病が癒やされる素晴らしい証をたくさん伺っています。不可能を可能にする神のみわざの素晴らしさを目にすることができることは大きな励ましであり、喜びです。
 しかし、病が癒やされていく人々の影に、相変わらず癒やされない方々がいるのも事実です。
 聖書を開いてみると、実に多くの方々が癒やされています。しかし、ある記事には、癒やしていただいても、その癒やしを与えてくださった主イエスのもとに戻ってこない人々の姿が描かれています。彼らは今、地上にはいません。
 また、ラザロは死んで3日も経っていたのに、主のみわざによって復活することができました。しかし、現在、ラザロもこの地上にはいません。死んだのです。
 前者と後者の間には、癒やされたという共通点がありますが、決定的な違いがあります。それは、主のしてくださったことを忘れたか、覚えていたか、ということです。
 主にしていただいたことを思い出すこと。そして、これから何が起こるのかを、信仰をもって期待すること。これは、して欲しいことが実現していない現在に実践できる逃れの道です。
 何よりも、主のもとに留まることの大事さを教えられます。