156センチの視線
11月10日
箴言3:1~6 マタイ6:33
聖書は「そうすれば-神の祝福に生きることができる-」で満ちています。その背後に、「さもなければ」の否定の結果も明らかにされています。創世の初め、エデンの園の出来事に、弟子たちも、歴代の信仰者も、その「そうすれば」を生きてきました。
「心を尽くして主に信頼し、自分の分別に頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」主イエス様ご自身も「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればすべての加えて与えられる」と。パウロは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族もすくわれます。」と断言しています。
これらは、一言で言えば、「御言葉に従いなさい。そうすれば、あなたは神の祝福を生きることが出来ます。」との約束への招きです。それは、「いつか、できる気持ちになったら」ではなく、「今、ここで、選択の自由に生きなさい!」という、主の促しです。
この信従への招きは、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」(ミカ6:8)のみ言葉にも明らかです。「神様の『そうすれば』」を、人生の課題として受け止めることが出来ることは何という幸いでしょう。信仰の「そうすれば」を問いつつ、共に歩むわたしたちです。